算命日記6月

 6/21(木)
 

 ぱらぱらと四柱推命の本をめくっていたら、場所と人物の関係が表になっていました。
 これが、算命学とはちょっと違うのです。驚きと戸惑いがありました。
 

 薄くてみ難いですね。すいません。
 赤い字で書いたのが算命学の人物定位置。赤丸はかなり違うところ。

 四柱推命では、年支が両親先祖というルーツの支で、年干は父系、年支が母系。
 算命学では、先祖は月支で、年干が父、年支が母。
 年支が父母になっていますが、年干を父系、年支を母系としているので、
 算命に近い配置と言えなくはないです。でも、父系とは家系のことを言うわけですから、
 占いで使う時には、ニュアンスは変わってきます。

 四柱推命では月干はなくて、月支が兄弟姉妹。それに、父母自分の性格・趣味・・・趣味^^
 算命学では目上の兄弟が年支、友達も年支、目下の兄弟は日支ですが、
 兄弟友人は定位置といっても、形だけのことで、それほど重視はしません。
 月支は「心」や「立場」という意味がありますが、性格というのはどうでしょう。
 日干の自分と日支の配偶者は同じです。ただ、四柱推命の日支には、体質、健康とあります。

 四柱推命は時柱というのがあって、生まれた時間の干支です。これが子供を意味します。
 また、時柱には、部下や仕事能力という意味もあります。算命学では月干が子供の定位置。

 4柱3柱の違いはともかくとして、先祖子供父母といった、大事な人物が
 二つの占いでは違っています。
 日月年の干支は同じになるので、ルーツは同じです。すると、この違いは気になります。
 先日みた、星やエネルギーにも違いはあります。

 こうした違いは科学の世界にもあることですから、驚くことでもないのですが、
 科学の世界は実験や検証によって、甲乙付けながら、より新しい考え方へと進化しています。
 が、占いは、相互不干渉みたいな暗黙があって、宗教の違いのように、それはそれこれはこれ。
 どちらも成り立って行き、怖いのは、長い間、どちらにとっても自分たちが真理であることです。
 そう思わなければ、占いなんてやっていけませんよね。科学の世界では真理は一つです。
 実際には白黒つかないこともあるでしょうが、真理は一つという意識があると思います。

 科学と占いを比べるなと言われちゃいそうですが、
 それは確かに、プロ野球と少年野球以上の違いはあるでしょうが、
 全く違うアプローチでも、真理に近づきたいという思いを持つことは同じ、、、、
 同じ、といえるだけの向き合い方をしたいとは思っています。
 少なくとも、哲学や思想の世界では、高尾算命は肩を並べられる可能性はあると思っています。

 

 いよいよ終わりが近づいてきたブラックペアンを先日見ました。
 それで、この人を忘れていました。加藤綾子さん。アナウンサー出身で、演技は素人?
 でも、この人はいいです。少なくとも、このドラマでの役柄には適しているように思います。
 過剰な自意識と、自分の保ち方がういういしくて、ドラマの中では時々ふっと素が出て、
 その素の素朴っぽさと、自意識の高さのギャップがなんともいえません。女の魅力が倍加します。
 覚えのある男なら、手を伸ばしたくなるような、変化値大の潜んだ硬質の色香を感じます。

 金性や火性ではこうしたギャップは出ないと思って、戊かなと予想したら外れ、壬でした。
 

 29番。答えが分かればなるほどです。やはり本人に近い役が与えられています。
 キャスティングする職業の人は、ほんと人を見る目があるんですね。
 あ、2番もありましたね(^^)/ いい人(笑)

 日支の戊癸干合の車騎星石門星は、日支であっても、仕事に対する意識が高くなります。
 役割意識が強まり、仕事や社会活動に力を注ぐ人になって、前進力、行動力も大。
 専業主婦には納まれない人です。大義を重んじます。
 仕事社会では、左の写真のようにきちんとした姿になります。壬水の頭の回転の速さも加わり、
 天庫星は必要なことはとことん調べて、智恵の水として、役立つ人になります。
 仕事や役割においては、クールに理性的に事を成します。これも役柄とぴったり。

 それと、直下に調舒星があって、自然に感情が出る仕組みを持っているのですが、
 役割を得た石門星が流れ込むと、強いプライドや個人感情は裏に隠れて、
 冷静さと穏やかさを演出できるようになります。
 違う自分が自己表現するという意味もあって、役者としての演技力にもなるし
 本心を隠したポーカーフェイスにもなります。内面は繊細で神経質で、プライドも相当です。

 でも、壬辰の人は、役割を離れて個人的になると、がらりと一変して、愛らしさや
 人情味が顔を出します。このギャップが、加藤さんの魅力でもあります。
 ドラマの中でも、そうした可能性を感じさせる人として、男性と一緒にいる時の映りがいいです。

 その構造が月支にもあって、辰と辰の自刑。丑丑の同と自刑の違いですが、
 形としては同じなのですが、酉酉、午午の自刑は季節の中心(大将)が二つです。
 冬と春の子と卯の大将は旺気刑でにらみ合っていて、代わりに辰と亥が春と冬の大将代理。
 強すぎる支が重なるので自刑となって、そこに意識とぴったり重なり切れない葛藤があります。
 自刑には確かに大将的な強さがあります。譲れない自分。ただ、本人は自然体なので、
 特別な力みはないです。自然体に自分の思いを大事にする。自分に正直と言えばいいですが、
 周囲から見ると、時に身勝手、わがまま、自己中、という評価にもなります。
 ちなみに、算命学の「自刑」定義は、「身内との戦いです」^^
 

 これおもしろいですよね。自刑の説明だけすると最後の1行で終わってしまいます。
 内容的な説明が難しいとも言えますが、もう少しなんか書いて欲しいですよね。
 刑は争いという定義があるので、こうしたシンプルな答えになるのでしょう。

 王朝時代はこれでも良かったわけです。王様が側近を選ぶときに、
 四柱や算命の占い師を呼んで相談します。「この者はどうじゃ」
 「は、恐れ多くも申し上げます。この者は自刑を持っておりまして、
  いずれ、身内間で争いを起こす可能性があります。避けたほうがよろしいかと・・・」
 「そうか、では、この者はやめよう」とまぁ、こんな感じかなと想像します^^

 辰辰の自刑を持っている人を調べると、
 

 それなり以上の人たちですよね。共通しているのは、自分の世界を貫くタイプでしょうか。
 自刑も同もそれは同じでしょう。自分の世界を大切にする。自分に正直ですし、
 気に入ったものは大事にしますが、気持ちから外れたものは耐えられない。
 その耐えられなさをどう処理するかが、その人の人間性を分けるのだと思います。

 自然体でやりたいようにやるので、結果的に、身近な人と争いになることはあるでしょう。
 でも、自刑も同も、自分が気に入れば、人もものも、とても大事にすると思います。
 でもまぁ、どちらかというと、性格はどうなの、と言われる人が多いかもしれません。
 悪意はまったくないんですけどね・・・自然体身勝手。許容できないことが多いかも。
 ただ、そうなるまでは、環境の適応に苦労したり、内的葛藤や迷いは付きものでしょう。





 6/20(水)
 

 温度差が大きくなると体がついていかなくなる感覚はありますね。
 数年前から、自分よりも温度計を信じることにしているので、
 服装の対応はできるのですが、身体の鈍さが治るわけでもなくて、
 猛暑が来ないことを祈るばかりです。

 同じ温度で、僕の熱さと他の人の熱さが違うってことは、理屈では当然なのですが、
 日常生活では、自分基準は誰もがそうなるわけで、その誤差は最大公約数に吸収され
 意識からは外れています。実のところ、みんな違う世界を生きている。

 例えば、ネットのゲーム。大元は一つですが、アクセスした人の数だけゲームが展開し
 自分がゲームオーバーすれば、ゲームの世界は消えます。大元のゲームは残っている。
 だからといって、自分が終わった後もゲームは存在していると言えるのかどうか?

 自分が死ねば世界は終わるのか。いや、世界はちゃんと残っているのか。
 老子のいう、名前さえ付けることが出来ない「根源の道」は、ゲームの大元です。
 人間はプレーヤーなのですが、ゲームオーバーしても根源が消えるわけではありません。
 でも、根源は存在しているともいえない。根源を存在せしめているのはプレーヤーです。
 神様と人間は、実は相互依存関係にあると・・・これは言い過ぎですかね(^^)

 人は何のために生きているのか、という大命題の答えの一つがここにあるように思うのです。
 僕たちは、根源を具現するプレーヤー。姿のない根源のほんの一部を現わしている存在。
 だから、人生は個人的な幸福を求めて生きるべきものではないと思ってきましたが、
 ゲームをやる目的ややり方は人それぞれでいいのかもしれません。
 それもまた、根源に含まれていると考えるべきなのでしょう。

 ただ、何もかもではない。なんでもいいわけでもない。
 こんなの全然暑くないよと、炎天下で遊び惚けていたら、大元の夏はノーという。
 俺(大元)は暑いんだよと思い知らせる。そのお知らせによって、熱中症で倒れる。

 自分の具現にならないことに対しては、根源ははっきりと意思表示するのだと思います。
 その「表示」を見逃さないことですよね。
 そして占いは、宿命に込められた根源の姿を描いて、具現する方法と方向を示すこと、
 それが一番の使命のように思いました。

 

 月干は自分がもっとも身近に感じる気で、ここには役割や目的が込められています。
 そこにある石門星。星の中でもっとも扱い(解釈)が難しいのが石門星です。
 この場合、気は癸→壬となり、自分が人を引き付ける。しかし、現実は「害」。
 両方を合わせると、嫌な相手でも、人を受け入れることが引き付けることになります。
 人から学ぶという意味もあります。子供時代の癸は、兄弟がいれば兄弟です。
 芸能界に行けば、癸には役柄がはいり、どんな役でもこなせる人になるでしょう。

 

 こちらが弟さんの宿命。見本に使いなさいといわんばかりに、同じところに兄弟の気があり、
 しかも、自分は陰干(弟)で月干は陽干(兄)で、ぴったり符合します。
 この場合は、乙→甲と気は流れ、お兄ちゃんの宿命と矛盾しません。自分が兄に寄り添う。
 需要と供給が一致するので、これで仲良し兄弟ができるのかというと、そう簡単ではないです。
 兄が「害」を使うためには、弟は好ましくないところを持っている必要があります。
 やっかいな弟を引き付けることが、ご長男の役割を果たすために必要な訓練になります。

 弟さんからみると、まず、兄が目に付き、その向こうに母がいます。
 年干は父の場所ですから、目立つ母。母とは連唐干支の関係(天も地も自分に自然に向かう)
 ここで連唐干支というと、41→42という連番に目が行きますが、これは連唐干支ではありません。
 天干は五行の陰陽ではなく、相生の五行の連番です。元が偶数なら連番になりますが、
 元が奇数だと13差で地支が一つ前に進む関係です。この場合は、29+13=42 となって、
 壬辰と乙巳が連唐干支です。意味はともかくとして、天も地も自然に自分に流れてきます。
 天にも地にも母がいて父がいるので、家族への意識は強まります。
 弟さんから見ると、この流れを兄が遮っているように感じます。

 自分は草で兄は大きな木ですから、母の水は木に吸い取られてしまう。
 7歳差ですから、幼少時代は、兄と母と三人一緒での居心地が悪くないかもしれませんが
 自我が強くなってくるころには、兄が邪魔(子供の感情として)に思えることもあるでしょう。
 若年のエネルギーは天南星。がまんの利かないまっすぐさがあって、
 気持ちも行動も前に出ます。そして、石門星には主星の龍高星が流れます。
 石門星+龍高星は「動乱期の英雄か平和期の反逆児」と言われるほど、激しさを含む組み合わせ。
 乙巳は日居中殺で、生まれ持って自我の正しさ意識が強いので、自分を曲げません。
 周囲から理解できないような行動もとりますが、そこに龍高星天南星が加わると、
 平和期の反逆児になる可能性もあります。そのための年齢差かもしれませんが、
 成長するにしたがって、強さは兄を上回るでしょう。

 この弟を手のうちに入れるために、母との三角関係も含めて、
 ご長男の葛藤は、徐々に大きくなっていくように思えます。
 そして、それを経たあとに、魅力的な人物になって行くのでしょう。

 もうひとつ、壬子も乙巳も生家とのなじみは良くない干支で、海外へ行けと言われるように、
 生家離れが命題の一つになっています。仲良し家族と宿命の本性、りょう家には、
 子供の成長とともに、何かと葛藤が続くことが予想される宿命事情がみてとれます。





 6/19(火)
 

 最近、エネルギーの重要性に気付いて、あれこれ資料を探しているのですが、
 十二大従星の解釈や説明はどれも似たようなもので、もどかしさがあります。
 もう少し違った視点があるはずなのにと思うのですが、ネットや参考書はどれも同じ。

 図書館で借りられる算命学はごくわずかでろくなものがなく、それで
 思いついて、四柱推命で検索したら、数冊ヒット。これを借りてきました。

 

 右の本は前に一度借りたような気もするのですがまったく覚えていません。
 陰占や位相法など、共通点は多いのですが、星の名前が違うので、わかりにくいです。
 まずは、ここからと思い、ネットで検索。

 
 内容を含めて比較しているのは一つしかなかったので、勝手にお借りしてきたのですが・・・
 区分は、算命学と同じですが、天胡星=病は病気とか(算命は病人)、天馳星が絶?とか、
 表し方はかなり違います。本でも似たり寄ったりですが、吉凶的に論じているものもあり、
 算命とはだいぶ違います。僕の真ん中のエネルギーは「絶」(天馳星)なのですが、
 「断絶」とか「衰退」とか・・・「破産」!おお、当たっている!すごい四柱推命(笑)
 離別、軽率、短気、ここまで並べられると、どうしようって感じですね。おもしろです。
 しかし、知りたかったことはこういうことではなくて・・・本にもありません。

 ついでに、星の違いも見てみました。

 

 最も違うのは、石門星です。財を奪う? 木(石門星)剋土(司禄星)ってことですかね。
 傷官(調舒星)は官(干)を壊す。これも、調舒星(火)剋牽牛星(金)の理屈ですね。
 古典は剋作用を凶としていますが、四柱推命もこれに習っているような印象です。
 本でも、調舒星は日干陰干だと「配偶者を剋す星」となっています。これも火剋金の原理です。
 これも凶作用としています。

 ただ、こういうのは結果的にはあたるんですよね。地に足のつかない現実味の薄い天馳星が
 事業をしたりギャンブルに興じたりすると「破産」とか (^^)/
 調舒星(個人感情)が強く表に出る人が結婚すると、相手は耐えられなくて離婚とか。
 剋作用やエネルギーが悪い面ででると、当たってしまうこともあるのですが、
 それは副作用ですから、それを定義に入れてしまうのは、どうでしょうかね。
 龍高星も、偏屈とか言われてますね^^

 これから、少しずつ、本も読んでみますが、四柱推命は細かくて難しそうです。
 同じ親から出た兄弟とは思えません。占いとは、こういうものなのですよねぇ。
 算命学でよかった(*^ 。^*)

 
 さて、ちょっと気になったりょうさんのご長男。
 子供の場合、まずは、親兄弟ですから、それがどういう位置にあるかです。
 それと位相法の関係。親の影響と干支の関係。親の位置と位相法。

 ご長男の49・壬子は地支の癸を吸い上げて大きくなる水で、天将星に座しています。
 子も壬も北の干支(知性派)ですから、パワフルな天将星にはなりません。冬の大将。
 癸は集まって大きくなる習性があるので、日支の場合は経験値が溜まります。それを吸い上げる。
 1気しかないので、若い時は環境の影響を受けます。
 壬子の難しさは、経験を吸い上げて大きくなることと、水一色であること。
 いつまでも、自分の経験と思考の中にいると、天将星のスケールはでません。
 壬が大きな海にはならずに、大きな水たまりのようになってしまいます。
 そもそも、子(子供・スタート・不安定な地支1気)と天将星は矛盾があります。
 いかに自分の枠(殻・環境)を抜け出せるかが、分岐点です。

 人物では、精神干と日支本元に癸があって、兄弟の影響大。この時に位相法が大事です。
 天干では兄弟が仲良く並んでいるのに、現実の関係は「害」。
 害=仲が悪い、はないです。むしろ、仲良く見えるのが普通です。害には調整作用がないので
 弟を受け入れることで害が成り立ちます。弟の面倒見はよくなりますが、
 弟が強いと、今度は天将星が泣きます。ただ、弟さんは2012年生まれなので7歳差、
 当面は大丈夫でしょう。本元を見ると、弟のいる月支己(牽牛星)に座下癸は激剋されます。
 この己は主星にもなっているので、大事な己です。牽牛星はとりあえず、役割を代入します。
 すると、月支中央の乙(調舒星)が己(牽牛星)を激剋しています。調舒星は個人感情とします。
 個人感情が役割を激剋し、その役割が石門星(仲間兄弟)を激剋する。これが害の中身です。

 たいてい、ここで頭が痛くなるものです。(・・? そこで順番に見て行きます。
 調舒星激剋牽牛星。これ、さきほどの四柱推命にあった、傷官の関係です。
 役割に個人感情が入るのはまずいですよね。私心をなくして、役割に徹するのが牽牛星。
 星だけを見ると、主星牽牛星で、責任感のある役割意識の強い子にみえますが、
 その上に調舒星があるので、これは、個人感情が入って、少々荒っぽい牽牛星になります。
 表面はラフで時に神経質な感じさえします。子供時代は主星の影響が大きいので、
 写真で見た違和感は、調舒星+牽牛星・害・天将星の矛盾かもしれません。

 荒っぽくなるために調舒星+牽牛星があるわけではないです。主観100%の天将星を考えると、
 自分の思いで役割を作り、それが新しい創造につながる、というのが本意です。
 子供時代は自分の感情が役割につながるので、この場合は、弟の面倒を見ることがメインで、
 そこに感情が入ると、言うことを聞かない弟だと葛藤が起こるのですが、
 そこに害が来るので、葛藤の中で弟を受け入れて行く役割を果たします。
 実際は害とかわからないわけですから、本人は苛立ち、気持ちの整理がつかないこともあります。

 この宿命は子供時代から、親兄弟の関係の中で葛藤し、精神が鍛えられる形になりそうです。
 母とは「破」父とは「害」、ぶつかるわけではないですが、複雑な心境を抱えます。
 子供時代の人間関係は、大人になった時に役立つための訓練だと考えたほうがいいでしょう。

 調舒星に表現者を入れて、役割に役者を入れると、言われた通りの役者にはならず
 自分の感情で役を作り、それを役柄の中に受容していく(害)、個性的な役者になります。
 難しい心理表現とかが得意な役者になりそうです。

 あれ、また、だらだらと書きすぎましたね(ーー;)
 あまり長いと嫌われる・・・途中で帰った人もいるんですよね・・・すいません。
 弟さんとの比較はまた明日<m(__)m>





 6/18(月)
 

 きのうのことだったのですが、体操で、いつも飛び上がってのぼっていた石段で
 向う脛を打って、しばらく動けませんでした。

  このあたりです。o(*≧□≦)oイターーーッ!!!

 ネットで似たような写真があったので、お借りしました^^
 「向う脛」と検索すると、画像がだーーーと出てきます。便利な世の中です。
 まだちょっと腫れていますが、痛みよりも、情けなさですね。
 先日も友人の骨折で気を付けようと思ったばかりだったのに・・・

 そういえば、小学校のころの通信簿の通信欄に、忘れ物が多い、とか、あわて者とか、
 そういう言葉をよく書かれていました。
 今回のは、あれこれ考えながら運動をしていたためで、あきらかに集中力不足です。
 ただ、毎日やっていることなので、体が覚えているはずなのに・・・体も記憶力欠如(´ω`。)
 気を付けようと思った固い決意を忘れていたことは確かです。

 

 子供のころからドジだったとすると、問題は宿命にあるのだと思います。
 悪いことはみな、天中殺や宿命のせいにします(^^)v

 心を中心に半会が二つ。辛(金性の陰)が3つありますが、中央と左右とでは質が違います。
 辛は宝石に例えられるので、丑(1月)の誕生石・ガーネットと酉(9月)のサファイアと、
 これを瞬時にまとめて、ガ―ファイアという新しい宝石を作り出す作用。または、
 双方の共通している部分、違っている部分を瞬時に見極める力にもなります。

 こう説明すると、すごい能力のように思えますが、実際は、単なる思い込みであったり、
 勘違いであったり、根拠のない決めつけや確信であることのほうが多いです。
 機能を操作する人の熟達度や成長過程によって、誤差はずいぶん変わってきます。
 そのために、僕は自分を信じるのと同じくらい、現実を参考にします。
 検証が何よりも大切で、現実がそぐわなければ、考え方が間違っているとして試行錯誤、
 今年に入ってからその繰り返しでした。半会だけを頼ると、大きな間違いも犯します。

 それで、その作業のプロセスでは、周囲にある「癸」や「己」が消えるか融合されてしまい、
 「辛」のことしか頭に残りません。あなたに夢中、状態です(*^ 。^*)

 僕の場合、辛は車騎星となって、自分を空にして、そこに使命が入る仕組みです。
 瞬間反応します。それが感情的なことなら、短気直情ですが、思考的なことなら、
 理性(癸)がすぐに復活して、辛→癸→乙(自分)となり、空の自分にガ―ファイアが
 インプットされ、新しい(身勝手な)理論が構築されます。

 半会という機能は、スピードとポイント把握力なので、微細な思考法ではありません。
 きわめてアバウトです。だからこそできることをします。これは運勢でも同じです。
 対冲は反対に微細です。だからできることがあり、ゆえに、できないこともあります。
 部分的なことをいえば、半会人は対冲や刑破害という散法人と相性はいいはずです。
 お互いにないものを補い合える。合法でも、支合はちょっと別格です。

 このアバウトな半会のせいで、細かい思考や記憶が飛ぶんですよね(ノ_-;)ハア…
 半会した時の内容がインプットされると、他が消えることがしばしば起こります。
 もともと、気の数が少ないことも原因でしょう。
 なので、考え事をしていると、二つの半会が機能して、注意力は超散漫になります。
 運動中は考え事をしない、これが鉄則です!
 と、半会で日記を書いている時は思うのですが、こういうのは、すぐに消えちゃいます。
 というのは、都合が良すぎますね。|柱|ヽ(´・_`・。)反省…

 

 これ、りょうさん一家の写真にあった、お子様です。
 りょうさんには男の子が二人いると書かれていました。
 これは、ご長男ですかね。たまたま、こう映ってしまったのか、
 なんか、強さともろさと・・・神経質な感じがして、気になるお顔でした。
 誕生日が出ていたので、明日、ちょっと宿命をみてみます。
 今日はちょっと疲れたので・・・早寝です。
 だんだん寝るのが早くなる気がします。きのうは19:30就寝でした( ◠‿◠ )





 6/17(日)
 

 大運という個別の運勢は、10年区切りなので、算命学では重視されています。
 その時に、最終的な判断は、その干支が宿命にとって守護神か否かで判定します。
 この場合の守護神は、宿命のバランスを保つものが守護神、偏らせるものが忌神です。
 僕も守護神法は一応学んだのですが、ある時から、使わないことにしています。

 高尾算命の公式ホームページの算命学の紹介文です。
 『日本では「占い」で有名になりましたが、もともとの算命学は古代中国の宗教である
  "道教"の中の"神仙思想"が土台となって形成されたものです。
  古代中国において
秘蔵の帝王学であり、政治・軍略の要として活用されてきました。
  陰陽・五行説を基本とした学問であり、
時代の流れ、国家や企業の動き
  リーダー達の性格や生き方、個人の運気や方向性など、幅広く予知・予測が出来るため、
  「占いの王者」とも評されていますが、実際には一般的に言われている「占い」の域を
  大きく超えた"東洋の英知"であり"世界の予知学の王者"なのです。』

 帝王学って、要するに、王様が自分の子供に王の道を教えることですよね。
 ここにもはっきり書かれているように、政治、軍略の要として活用されたわけです。
 算命学は「占いの王者」ではなくて、「王者の占い」です。我々庶民の占いではない。
 高尾先生も、企業のトップを集めて、セミナーを開いていたという話を聞いたこともあります。
 リーダーのための算命学、という色彩があることは否めないでしょう。

 守護神法はそこから生まれていると、僕は思っています。
 つまり、金持ち(豊かさを保有する者たち)が自分を守るための運勢活用術です。
 王様が自国を守り、転ばないようにするための戦術です。
 だから、「バランスを崩さないこと」を一番の守護神とするわけです。

 ひねくれた僕の龍高星は「貧乏人がバランスを保って、自分を守ってどうするの!」
 と思うわけです。守護神法からは下克上や成り上がりは生まれません。
 矢沢永吉は誕生しません。庶民や底辺から上がろうとする者たちには、
 アンバランスが必要でしょう。才能もしかり。守りの発想から既存を壊す才能は生まれない。
 生まれながらにして、すべてを与えられている王様と同じ発想で、庶民は生きられません。

 

 日月律音は、心に反する家庭を持てません。相手選びは、条件よりも、気持ちが先です。
 一緒にいて、しっかりと自分の視野に入ってくる、自分と同じ、または似た感覚が必要です。
 なので、お相手の方は、49か50を持っているだろうと確信していたのですが外れました。
 ひとつ違いでも、共通領域のない夫婦です。干合もない。通常はすれ違うのですが・・・
 この並んだ感じは、なんとも言えずにいいですよね。
 しっかりしたご主人のそばに、ちょこんといるりょうさん。あの写真のイメージです。

 結婚は2003年です。離れた領域で、イメージだけでは15年も連れ添うことはできないでしょう。
 お互いに仕事を持っていて、すれ違いが多くなることは、この場合にはプラスです。
 でも、それ以外にも何か必要です。宿命を見ると、位相法の一致に目が行きます。
 支合ふたつに律音。こうした一致はそうそうないですよね。
 納音や律音などの特殊位相法同士で、うまくやっているケースはよくみます。
 相手の行動パターン、思考の仕方に共通項を見出せるためでしょう。

 ただ、支合と自我の強さを考えると、価値観の一致や家庭に対する考え方など、
 根本の部分は同じであることは条件です。
 りょうさんの律音はこの人ならという一致点を見出したのだと思います。

 通常、離れた領域の場合、干合で重なることが多いのですが、それもありません。
 が、しかし、天干干合よりも、もっと強烈な地支干合がありました。
 
 地支は現実(肉体)ですから、肉体が干合すると解釈されます。
 午と亥は夏と冬なので、何とも言えませんが、寅丑は隣同士の支で連動性もあります。

 算命学にはこうした相性診断はありません。僕はずっと気になっているのですが、
 なにぶん、こればっかりは、自分のささやかすぎる経験から実証できるものではなく、
 鑑定中に、そこまでつっこんだ質問をすることはできません。

 ところが、数年前、塾生の方で、若い女性の相談をたくさん受ける立場にいる人がいて
 その人が、膨大なデータを持っていて、この話で盛り上がったことがありました。
 その時に、「寅丑はまちがいなく男女相性は最高です」と結論がでたのです。

 写真だけですが、りょうさんとご主人をみていると、そんな雰囲気が伝わってきますよね。
 例外的に、位相法の一致と、地支干合によって、領域図の小さな空間を埋めている、
 そう判断したくなります。なので、身体が離れると、いつでも危機はやってきます。
 今のところ、そんな懸念はないようです。





 6/16(土)
 

 重くなって表示されにくいというご意見があったので、前半、後半と分けることにしました。
 もう、六月も後半です・・・害月で開き直ったせいか、逆に落ち着いてきました。
 六月の運勢「害」、今日の運勢「破」と言っていますが、そもそも運勢とは何か?

 運勢とは宿命が生まれてから死ぬまでに歩む時間の道です。
 東洋占星術の特殊性は、時間を干支で表示できることです。
 東洋の時間は、継続的な長さではなくて、デジタルな変化に置き換えられるので
 人間もデジタルで表示され(宿命)、生まれたら、死ぬまでの運勢は自動的にわかります。
 それは、表記的にわかるという意味と、概要なら、内容までわかるようになっています。
 時間(存在)が干支で表記されることによって、極めて解析的に人間を観ることができます。
 それは、即、予言できる、当たる、わかる、ではありませんが、観ることはできます。

 干支で測れる時間(運勢)には、大運、年運、月運、日運があります。
 このうち大運は心が作る運勢で、個々の宿命によって違ってきます。
 残りの年、月、日、は全員に共通の時間です。
 今日は、2018年(戊戌)6月(戊午)17日(庚辰)です。
 これが宿命の3つの干支になります。生まれた瞬間の年月日の時間(干支・気)が、
 存在を確定つける因子です。

 

 西洋では近代になってから「存在と時間」の関係が存在論のテーマになってきましたが、
 古代中国では、紀元前から、そんなことは当たり前だったわけです。

 1年は12カ月ですが、1月は28日~31日とそれぞれです。
 月は年を12等分したものになるので、月運は年運に含まれるという考え方をします。
 しかし、日運は独自の単位制を持っていて、いわば、核のような位置にあります。
 宿命の三支でも、日干支がメインになる理屈です。

 ですから、日運勢はもっと大事にしないといけないのですが、
 単位が小さくなるほど、人が運気を感じる力は鈍くなり、軽く扱いがちです。
 僕自身も、占いでは、今日の運勢を観てください、という依頼は友達レベルで、
 需要として、日運の存在価値が低かったこともあって、軽視していました。
 これも天中殺のひらめきとして、日運勢を重視しようという気持ちになっています(^^)

 

 りょうさん、律音の続きです。
 ずっと言っていることですが、算命学は現象当ての達人です。
 だからといって、それをすべて暗記しても、占い師にはなれません。
 どんな答えにも、理由があるはずで、その理由を陰占から解明することが大事です。

 律音の二面性、その場所との同化、一つのことにとらわれて専門的になる、星が強化される。
 これらの現象的な答えを律音の陰占的な意味から考えてみます。

 ・二面性 例えば、納音なら正反対の季節=二面性は答えとして出てきますが、
  同じものが二つが二面性で考えが変わりやすいとしたら、貫索星は頑固にはなれません。
  でも、算命学は正しいわけですから、二面性に見えたり、気が変わったように見えたりする。
  その現象を陰占から、紐解いていければいいわけです。それはちょっと保留します。

 ・場所との同化 これは、同じ=同化で理屈通りです。

 ・一つのことにとらわれて専門的になる。これも保留します。

 ・星が強化される。 同じ星が二つですから、その星の意味が強まるのは理屈通りです。

 さて、そこで保留した二つのこと、二面性と専門性という矛盾を陰占的に解釈できるかどうか。
 日支(結果・目の前の現実)、月支(心)とします。律音はこれが同じということです。
 心と結果、心と現実が一致しているのが宿命の自然で、一致してないと、不自然。
 不自然は是正したくなるので、日月の律音は自分の心に忠実、かつ誠実でありたい本性です。

 心に近い日常を作ることが大事です。仕事的には思い通りの結果を出したい本性です。
 心にあることがそのまま現実になるべき人ですが、何もかもがそうなることは不可能です。
 すると、そこに優先順位が起こり、選別が生まれ、これだけはというこだわりが表出し、
 それはそのまま、専門性へとつながるでしょう。その意味では視野は狭いです。

 心と現実の一致が自分の自然になるので、ある種の天然性を持っていて、
 周囲とは理解できないされない見えない隔たりは常にあります。
 それがキャラクターになるか、経験や知恵をつけることで調整力を身に着けるか、
 改善の余地はありますが、マイペースな独善性は潜んでいます。

 心の在り方が現実に投影されるので、方向が定まらない時には、気持ちの変化が早いとか
 二面性どころか、気まぐれな多面性と思われることもあるかもしれません。
 好き嫌いの判断基準が心の中にあるために、周囲からは、理解されない部分は出てきます。
 そして、自分と同一視できるものには、執着し、とても大切にします。
 しかし、それがなんらかの理由で、気に入らないとなると、視野から外れて、
 がらりと態度が変わることもあります。これも二面性と言われるところです。

 もう一つ、運勢と宿命が律音すると、新しい自分になるとか、親に反抗的になるとなっています。
 これも、「心と現実の一致」を定義にすれば、解釈可能です。
 親に反抗的はわかりやすいでしょう。
 運勢と自分が一致していると、自分の思い通りの現実を作ろうとします。
 しかし、子供時代は、親は親の思い通りに子供を育てようとすることが多い。
 あるいは、自分の思い通りが、周囲からは身勝手で反抗的な子供に見えるかもしれません。
 子供時代の律音には、調整力が、頑固さくらいしかないので、より反抗心の強さが露出して
 時には親を振り切って我が道を求めるようなことも起こりえます。
 親に反抗的になるというのは見え方であって、本質は、自分の思い通りの現実へのこだわりです。

 大人になってくると、運勢と自分が一致しているのに、現実が不一致であると、
 それを一致させようとする努力ができます。強い思いで自己を実現させようとする。
 そこから先は、能力や経験値の差はでますが、現実との不備(ズレ)を解消して
 結果的に、新しい自分になることができる、というのが運勢律音の意味だろうと思います。
 自分が変われなければ環境を変えます。これもまた、新しい自分になります。
 運勢律音だからといって、自動的に新しい自分になるわけではありません。

 位相法でも天中殺でも、こんなふうに、一つの定義で解釈したいんですよね。
 応用は必然だとしても、個々の定義は一つとなれば、もっとわかりやすい占いになるのですが、
 なかなか、難しいことではあります。
 また、りょうさんから離れてしまいました(ーー;)
 もう一回、続きます。





 




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