気の自然な流れは、陰陽でひとつ前に進む形です(木陽→火陰)が、
気の相生相克では、流れるだけでなく、「剋」することも気の働きです。
木陽の1を例にすると、ひとつ置いた土陽と土陰が剋する関係になります。
この「剋する」という言い方は微妙なニュアンスがあって、「打つ」「砕く」「負かす」
どれをとってもちょっと違うなと感じる、まさに「剋する」でないとだめ、
みたいなところがあります。木剋土 クワで大地を耕す。樹木や草木が根を張る。
金剋木 斧で木を切る、彫刻刀で仏像を彫る、なんていうのも、金剋木の中に入ります。
火で金属を溶かす。刀鍛冶もまた火剋金ですし、ガラス工芸も部分的には、火剋金です。
土剋水 ダムを作ったり、海を埋め立てるのも、土剋水によるものです。
こうしてみると、「剋」は単に壊したり打ち砕くわけではなく、それが新しい形を作る、
あるいは、既存を変形、変化させるためのもの、と言えると思います。
相性もまた、そうした意味があります。「剋」が悪いと一概にいえないのはそのためです。
また、同じ木剋土(1,2 剋 5,6)でも、1-5と1-6では、1剋 5(奇数剋奇数)と
1剋6(奇数剋偶数)では相剋関係のあり方が違ってきます。
剋関係の場合でも、陰陽の間で起これば、それは自然な剋和合になります。
ただ、自然と言っても相生のように水が流れるがごとくの自然ではありません。
先ほどの例で言うと、小刀で木彫りの造形をするような形は、和合性のある剋関係ですが、
そこには、小刀の「意志」が入り込んで、その範囲内で和合関係が起こります。
また、山が崩れて、湖を埋めてしまったとして、それは和合性のない土剋水ですが、
埋められた湖が、お花畑に変わる可能性もあります。和合も、非和合も剋関係は、
なんらかの新しい形を生み出す可能性があるということです。
剋関係の人との出会いは、変化のためのものであることが多く、相性の問題よりも
生き方の問題に関わってくることが主旨だったりします。
和合性がある場合は剋する側に意志があって、その意志にそってふたつの気が変形します。
A➷B AがBを打つ
A➹B AはBに打たれる
左側は、陰陽の和合性のある剋関係ですが、気自体は変化しません(干合はしない)。
俗に、裏干合と呼ばれるものですが、干合は陽が主導なのに対してこれは陰が主導です。
女(陰)が男(陽)を口説くみたいなもので、一気の盛り上がりや派手さはありませんが、
じわじわと効力を発揮して、いつの間にか・・・となります。
右側は干合と呼ばれているもので、男女和合の最強の相性のように言われますが、
干合の働きは和合による新気創造なので、生活レベルでの持続力や信頼感はありません。
男女が出会って、愛し合って子供を作る、新気創造の意味のひとつは、そこにあります。
また、子供ではなかったなら、新しい愛の形、人間の形、そうしたものを創造する、
そんな働きもあるのかもしれません。A+c=B+b となるのが干合構造です。
干合で生じるものは虚気ですが、生まれたものは消えるものではなく、子供として残ったり
愛なら自分の中に取り込まれて自分を変えて行きます。ただ干合自体は虚気構造ですから
干合変化した自分にとどまることはできません。干合変化は、原則、瞬間芸です。
干合に限らず、剋関係は剋する側が主体性をとります。
2と5の関係では、5が2に向かって行っても、そこで和合構造は発動しません。
2が5に向かうことによって、和合性が生まれる可能性がでます。
相性の場合は、受けて次第で、和合が決まるのですが、始まりは打つ側にあります。
干合も同じです。陰から陽へのアプローチは直接は効果がありませんが、
それによって、陽が反応してくれれば、干合成立の可能性は出てきます。
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