算命日記5月

 5/31(木)
 

 目新しい言葉は、北支合。これは北方支合のことで、北は精神の帰結する場所。
 これをそのままとって、「自分の思い通りの結果を実現しようとする強い精神作用です。」
 自分の理想や目標を実現するような努力が効果的です。知力が高まる日です。

 旺気刑。算命学では「もっともはげしい争い」となっています。
 文言もそんなふうにはなっていますが、それよりは「自制、忍耐の時」とします。
 春の旺地(勢いのある草)に冬の旺地(冷たい水)がかかるわけで、
 草はその理不尽さに瞬間的に怒ります。考え方としては、お坊さんが滝に打たれて修業です。
 瞬間反応しない。怒りを内に貯めて外に穏やかさを出す。気迫の人ができあがります。

 

 きのう、剋関係でぐるぐる回っている様子を見ましたが、今度はここに人物を入れてみます。
 それが右の図です。算命学の優れたところは、一つの宿命がいろいろな顔を持っていることです。
 これを使うことが占いです。人、星、場所、を入れ替えて考えてみることが大切です。

 日支本元調舒星が牽牛星を激剋。人物に置き換えると、目下が配偶者を激剋。
 もし乙が女性なら丙は子供。子供ができると、子供が夫を激剋。この姿を考えてみます。
 夫と争う子供です。夫が喜んで負ければ、子煩悩な夫(子供に甘い夫)という家庭が浮かびます。
 夫が強いと、子供は負けます。でも、宿命では子供が打つ側なので、子供の葛藤が大きくなります。
 この子は、内面に孤独感や負けん気を育てながら大きくなるので、何か才能を得るかもしれません。
 夫(子供にとっては父)を超えようと努力する子に育つ可能性もあります。

 宿命が男でも女でも「庚」は配偶者。それを打つ丙だけ人物ではなく、調舒星に変えます。
 そんな勝手なことが、と思われるでしょうが、丙=調舒星=子供=個人感情、ですから、
 イコール関係内においては、どう置き換えても宿命の原理を変えることにはなりません。
 この置き換えによって、実に多方面からの占いができることになります。

 調舒星が配偶者を激剋します。さきほどの子供と父の関係を、自分の感情と配偶者に置き換えます。
 自分の感情が配偶者を激剋することになって、優しい配偶者なら、自分に従ってくれるのですが、
 強い配偶者だと、反発されて、争いの多い夫婦になります。
 この場合「庚」(刀に比喩される)ですから、強い配偶者の可能性が高いです。

 夫が強くて子供がいないと、自分の感情を抑えることになります。忍耐の結婚生活です。
 夫の反発に自分が耐えられなければ、争いで離婚です。
 忍耐できると、丙剋庚は、情的な面倒見の良い妻に変わることができます。
 例えば、家に帰ってきて何もしないような夫に、妻が尽くす(愛情を注ぐ)のも激剋作用です。
 弱い夫なら、自分に従ってくれる夫になるか、剋されて逃げるかもしれません。
 激剋関係はほどほどが難しく、どちらかに偏った関係になります。天剋地冲夫婦のように。
 同じ誕生日でも、配偶者(夫)の性格の違いによって、家庭の様子が変わってきます。

 この庚は、対冲で右の甲(別自我、仲間、兄弟)を激剋します。
 配偶者と自分の兄弟が仲が悪い。配偶者が仲間に口出しする。配偶者が変身自我を否定する。
 このあたりは、実際にどういう宿命かによって変わってきますが、俳優・林さんだと、
 自分が妻に厳しく当たり、妻が、自分の演技や役柄に、あれこれ口出しする、となります。

 そう考えると、乙巳は、乙がどんな人物でも、結婚生活は波乱含みになると想像できます。
 想像したら、即、検証です^^
 
 じっくり調べている時間はないので、目に付いた人の結婚歴だけを観て行きました。
 僕が知っているような人はそれほど多くなく、調べた範囲での離婚率は70%くらいです。
 もっと詳しく調べても、おそらく、離婚が多いという結論は出せるように思います。
 もう一回だけ、続きます。





 5/30(水)
 

 今日は寅の東支合。これは東方支合です。東は木性が担当します。
 亥の中にも同じ陽木があって同質連結です。木性が強まることの意味は、
 東の行動することへの高まり。精神よりも行動優先で動く日です。

 今日は塾生さんとの勉強会で、少し遠かったので朝一で出かけました。
 8時過ぎだったので、多少は覚悟していたのですが、地下鉄は超ラッシュ!
 吊革につかまってはいたのですが、だんだん距離が離れてきて、腕がイタイョョョォ p(。>ω<。)q
 でも、手放せないまま、耐えていました。これを毎朝やっている方々は偉いです!

 だれもがみんな耐えていて、みんなが「被害者」なのですが、ちょっと見方を変えると、
 誰もが「加害者」でもあるわけです。みんなが「加害者でごめんね」と思えれば、
 ラッシュの不快感も少しは消えるのかなと思って、僕は加害者だと思ってみました。
 でも、やっぱり無理 f^_^; みんなが被害者で仕方ないですね。

 うー、もう耐えられないと思っていたら、シルバーシートが一つ空きました。
 周囲を見回したのですが、どうみても僕が最高齢者です(`・∀・´)エッヘン!!
 遠慮なく、座らせていただきました(^^)/ 今日は老人でよかったと思いました^^

 

 巳はどの番号でも「庚」が鍵を握ります。
 12支の6番目。前半の最後。ここでの「庚」は変化のためのアクセント。
 丙剋庚 庚←戊 と庚に気が集中します。
 調舒星(表現)が牽牛星(役割)を激剋。
 私生活では調舒星に個人感情が入るので、個人感情が自己制御(牽牛星)を消します。
 言葉が先に出る。「人を傷つける言葉等を発しやすい性格」と占われます。
 割と、自分勝手な人になります。日居中殺の強さも相乗されるので、
 若い時の身勝手感は、乙巳のほうが出やすいかもしれません。
 感情的な闘争心の高まりにもなるので、ラフな印象にもなります。

 林さんがドラマで、急に冷たい言葉を放ったり、突然きつい一言を発するのですが、
 それがまさに、調舒星剋牽牛星です。あのへんは地でやれるような気もします。
 調舒星に役者として演技感情が入ると、台本よりはオリジナルな演技になるでしょう。

 42だけだとこんな感じですが、そこに24・丁亥が対冲します。
 本元同士、調舒星×玉堂星は知性と感性のぶつかり合いで、激しい激突になりますが、
 役割の上での葛藤では、弁証法的な高まりとなって、より完全な演技を目指す昇華をします。
 「学問芸術の世界で才能を開花させる。」と言われる二連変化です。
 演技力の幅と、そこに創造力、想像力が加わるのは、この対冲の効果です。

 ただ、日常生活だと、個人感情はそう簡単に消えないので、感情の反発もあって、
 怒りっぽくなったり、玉堂星(目上、母)へ攻撃的な直球を投げることもあるでしょう。

 

 この日月の対冲の流れを見ると、壬剋丙→丙剋庚→庚剋甲となって、
 月支の甲に向かいます。月支本元壬も壬→甲となって、
 表にはでませんが、この甲が大事です。日干乙が心の甲に化ければ、役柄が甲に入ります。
 続きはまた明日。





 5/29(火)
 

 今日目新しいのは、卯の中支合。これは「中央支合」です。
 昨日の辰が天上だったのと対を成しています。地支合にするとわかりやすいのですが
 戌の地は天上界の地なので、地上の地と区別するために、中央にしたのかもしれません。
 この支合は、「目の前の今」を支合します。
 自分の考えとか、思いの実現ではなく、目の前の今をベストにするにはどうすればいいか、
 それを考えて実行します。「いま自分が一番よりよい状態でいるための思考」をします。

 今日は久しぶりの友人お茶会。二週間以上じゃないですかね、人と会って話をしました。
 お互いに途切れることなく3時間30分! よく話しました。大満足(*^ 。^*)

 

 本題に入る前に、ちょっと横道にそれます。
 林さんのwikiをみていたら、こんな記載がありました。
 「同い年の俳優、池松壮亮とは映画『DIVE!!』での共演以来の親友であり、
  恋人以上の存在で永遠のライバルと語っている。」
 池松さんがだれかも知らないのですが、ピンと来たのが、日居中殺の反対日座中殺。
 僕のこういうカンは大体外れるのですが、天中殺中だしと思って調べてみました。
 当たったので、載せます(笑) 外れたら当然スルーでした(^^)v

 

 当たらないカンが当たるくらいですから、実際、この組み合わせは多いってことです。
 これまでの鑑定でも、よく見る組み合わせです。陰陽(42-11、41-12)もあります。
 天の空間がないために、苦労しながら人間的現実を作る日座中殺と
 天の空間しかないために、神的現実を作ることに苦労する日居中殺と、
 二つ重なると、神様と人間が一致して、理想の世界を作れる?理論的な可能性が出てきます。
 実際お話を聞くと、2人でいると意気投合して自然に安心感がでてくるようです。
 林さんと池松さんは、年干支は律音で月干支は4差の盛り上がりで、日干支が納音で、
 縁も強く、気持ちも膨らんで、お互いの領域は邪魔しなくて、最高の組み合わせだと思います。

 日居中殺は、陽干(甲戌)のほうが明確で、わかりやすいです。
 陽干(甲)はもともと天上干ですから、神の精神が宿ることは前提です。
 ただ、それに対応する地上の現実がないので、思考錯誤と現実とぶつかることも必然。
 陰干(乙)は本来は現実干なので、環境や経験から精神を作ることになります。
 でも、日居中殺は例外的に神の精神が与えられているので、陽干の精神を持ちます。
 「人生において助けが少なく、自力で人生を構築していく。」
 「自分を過信する傾向もみられる。それが自我となって表出するので、
  団体行動や集団の歯車にはなりにくい。」

 通常、乙は協調性があって、表向きは自分を曲げられます。
 外柔内剛で社会を生きるのですが、乙巳はそれが難しい、例外的な乙です。
 既存の現実に納まれる精神を持っていません。芸能界に向くというのは既存ではないからです。
 自分を作ることで生きて行ける世界です。日居中殺にはそうした隙間的な現実が必要です。
 あるいは、肉体を使うことで(スポーツなどで)現実を作ることも一つの方法です。
 日座中殺の戌亥、日居中殺の辰巳、戌亥辰巳の4支は、日居、日座でなくても、
 現実との折り合いが自然にはいかないようにできていると思ったほうがいいでしょう。





 5/28(月)
 

 辰の「天支合」というのは、「天軸」支合のことです。
 辰は天上の支で精神性が強く、しかも、軸的存在なので、
 「精神の今」と「目の前の現実」を一致させる支合です。
 精神の今に関しては、自分の欲望やりたいことではありません。
 神様に近い辰が感知する、啓示のようなものを感じ取り、それが今の思いになります。
 周囲の雑念に惑わされずに、自分の「今の思い」にこだわってみる一日です。

 

 韓国ドラマの大作が終わってしまい、興味を惹かれるものがなかったので、
 日本のテレビドラマの一日遅れの放送をGYAOさんがやってくれていて、これを見てます。
 CMは入りますが、見たい時に見ることができるので、好都合。
 僕は、どうも〇〇だけするってことが苦手です。
 テレビだけ一生懸命見る、食事だけ、電車乗るだけ、お風呂入るだけ、本を読むだけが苦手。
 天馳星のせいでしょうか、何か、併用しないと、落ち着かないのです。
 電車や風呂は本が必携です。ウォーキングは何か考え事をしています。
 家で食事をする時は、必ず、パソコンの前で、GYAOドラマをみます。

 

 最初見た時には、げー、という感じで、続けてみるとは思わなかったのですが、
 なんとなく気になって、毎週見てしまいます。男同士の愛の物語(-_-;)
 内容はきもきもなのですが、役者がそれを微妙なユーモアーの中で演じてくれます。
 どこかで「愛とは何」ということをちらちら隠し味のように利かせて、
 どのテーマも真正面からは決して映さない演出と、え?と感じだしたら、
 もう次の場面へと展開する切り替えのうまさと、何よりも役者さんですね。

 ほとんど、知らない人ばっかりなのですが、どの方も、難しい役を見事に演じています。
 特に、目を引いたのは左の人。主人公とからみながら、このドラマに、
 シリアス感と除臭効果を与える、いい味を出している役者さんだなと思いました。
 

 話題の「巳」ですね。42・乙巳は日居中殺。精神と現実の不一致。
 乙巳の干支解説を読むと、このドラマの役柄とぴったり一致します(笑)
 「繊細な神経と独特の感受性をもっているので、時に論理性に欠ける面が出てきて、
  プロセスのない唐突な行動を起こすようになる。ゆえに、人からは理解され難い。」

 説明どころ満載なので、順番に。まずは、干支の特徴としてエネルギーから。
 42番は、天恍星エネルギーです。なので、芸能界に向くとかきらびやか、女神の星、
 などなど言われています。エネルギーはこうした答えを記憶しないほうがいいでしょう。
 

 ネット検索で見やすそうな表を、無断でお借りしてきました。いい表ですよね。
 ただ、年代の区分はまちまちで、通常、少年少女は天貴星、天恍星は思春期となります。

 12エネルギーの中で、もっとも変化値の高いのが1点天馳星、次が3点天報星、
 三番目が7点天恍星。この中で、現世・有意識のエネルギーは天恍星だけです。
 年齢で言うと、10代。10歳と10代後半では、人間性も考え方もがらりと変わっていますよね。
 天報星もそうです。最初は卵子だったものが、10か月後には胎児になっています。
 天馳星は、そうした明確な変化はありませんが、地上から宇宙へと飛翔するエネルギーです。
 どれも変化することで燃焼するわけですが、そのエネルギーの質が人生にも人間にも表れます。
 天馳星は根無し草ですし、天報星はきまぐれの星などと呼ばれるし、定住感はありません。

 天恍星は、現実の世界が舞台になるので、その二つよりは、現実味があります。
 ただ、そこでの変化体質は、逆に、生き方の難しさになります。
 天恍星番号は、1・甲子、7・庚午、42・乙巳、48・辛亥 この4つです。
 どの番号も、表立っては浮かれた感じはしません。そうですよね。10代は真剣に生きる時。
 自分がどう生きるかってことを悩み考え、夢を描いてそこに向かって生きる、思春期です。
 子供が大人になる途上のパワーなので、天恍星には、子供っぽい身勝手さと、
 自分の考えで人生を作ろうとする真剣さが混在します。生き方を真剣に考える星です。

 甲子・根は寂しがり屋でわがまま。人生に夢やロマンを求めている。
 庚午・離郷の運があり生地生家を離れて生きるようになる。
 乙巳・海外雄飛の運あり。故郷、親元を早く離れた方がよい。離郷が開運につながる。
 辛亥・気持ちはとても若く、老いても青年のような若さと活動力を保つ。

 天恍星の干支で、天恍星らしい文言を拾ってみました。
 この、子午巳亥はこのところよくみかける支ですよね。
 孤独とか創造とかを持っていて、異常干支が多く、地支本元が精神干(火性水性)です。
 安定しない12支には、安定しないエネルギーが与えられるケースと逆のケースがあります。
 天馳星は、申酉寅卯の4つです。天報星、天恍星が夏と冬だったのに比べると、
 天馳星は現実味のある支が与えられています。
 例えば、日支、子午巳亥が天馳星で動いたとしたら、離婚率90%とか、未婚率50%以上とか
 そんな感じになるのかなと思います。干支はとてもよくできているのです。

 ぜんぜん、進まずに、文字数だけ稼ぎましたね(^^)
 明日に続きます。





 5/27(日)
 

 運勢で、「位」となっているのは、申日と同じ季節の他の二つです。
 申日は秋の気(金性)が強まるので、同じ秋の気(酉・戌)は金性強化に注意です。
 金性の本能は闘争心。これが、「怒らないこと」という注意と、
 金性は細かいことに気が行き、注意力が強まるので、「気遣いを発揮」となり、
 もう一つ、金性の持っている感情は「憂う・悲」なので、それが強まり、
 「何事も悲観的に考えないこと」という文言になっています。

 巳は西支合になっていますが、巳申は生貴刑でもあり、「破」でもあります。
 巳申に限らず、支合そのものが刑や破的な要素をもっているともいえます。
 西支合は、西が結果の場所なので、結果に対する完全一致が本能です。
 巳の支を持つ人の27日は、多少苦労があっても結果を出すことだけに注力して吉です。

 半会の前についている五行は、半会で強くなる気です。水半会は水性が強まります。
 これは日番号によって、意味することが違ってきます。
 日番号1(木性)なら、水→木と入力(玉龍)が強くなり、
 5(土性)なら土剋水(禄司)と積極的に前に出る気が強くなります。
 水を使ったまとめ力とか、日干木性なら目上、母、土性なら配偶者、恋人が強まります。
 半会の日は、直観的に何かが思い浮かんだり、悩み事にヒントが浮かんだりもあります。

 さて、もう少し、葛藤と創造のお話を。
 

 孤独と葛藤を陰占レベルでみるとこんな感じになります。
 異常干支を作っている支は紫で示しました。
 蔵干では、支の中に剋関係を持つものを緑でマークしました。
 支の中の剋関係が葛藤であり、陰占で葛藤が起こり、孤独と創造を生む源です。
 地支本元が水性火性の精神干になっているもの(自分が揺れやすい)を赤と青で記入。
 干支陰陽では、干と支が陰陽になるものを主観としてオレンジマークです。
 主観=個人感情で人生を作る、との持論から葛藤や孤独感が強まる可能性です。
 1気の気を別にすると、ノーマークは丑と寅だけです。◎〇はもっともノーマルな支です。

 全部で4項目チェックマークがありますが、孤独でもっとも多かった「巳」がフルマーク!
 続いて辰巳戌亥が3つです。どれも異常干支を含みます。
 これまで異常干支は暗合を基準に見ていましたが、水性火性に注目してみると、
 日居、日座を別にした異常干支はすべて本元が火性と水性になっています。
 揺らぎやすい精神干が本元にあることの危うさと、
 危うさゆえの、葛藤→孤独→創造→才能発揮、という流れが見えてきます。

 反対に、支の中が順番に流れている代表が寅です。陰の代表は丑。
 僕は丑二つと酉、半会二つですから、宿命上では葛藤ゼロです。
 孤独は感じたことがないし、自分から芸術的なことをしたいとも思いません。
 現実的に困ったことはたくさんありますが(笑)内的な悩みって、成人以後はないです。
 創造的なことで、しいて言えば、「言葉」を使うことですが、これは創造ではなくて、
 既存の言葉を使ったまとめ力ですから、芸ではない。
 映画も好んではみませんし、文学にも興味がありません。
 本は読みますが、推理、SF、ハードボイルド系で、好奇心と闘争心を満たすものです。

 葛藤(×)があって、異常干支ではないものに、未と申があります。
 この二つは、本元が土性金性でしっかりしていることと、客観100%なので
 未と申の葛藤や創造は、現実を土台にしたところで起こるのでしょう。
 部分的には、現実社会で役に立つ創造になるのかなと思います。
 未申の葛藤は、揺れ動くよりも、怒りや奮起するエネルギー源になりそうです。

 今回、十二支はずいぶん研究しました。まだ、答えは霧の中ですが、
 エネルギーも含めて12支を軸にした占いを作りたくなっています(^^)/





 5/26(土)
 
 
 天中殺112日目、まだまだ、迷走は続いています。
 やはり自分の運勢を載せていることの意味はないので、このさい、大げさにしてみました。
 番号別今日の運勢と違って、地支の位相法だけです。
 当然、これがすべてではありませんが、現実に起こることは位相法でみます。
 12支だけなので、大半会や天剋地冲、納音、律音は半会、対冲、同と表示されます。

 日番号主体ですが、月番号は心の状態、年番号は仕事や社会としてみます。
 僕は、丑・酉・丑ですから、公私は一緒。日年は地冲動。
 対冲には、地と天があって、地は現実の出来事から流れが変わります。
 実際の運勢では、精神、現実といった意識は明確ではないので、特に分けては表示しません。
 日記の日運勢ということで、勉強も兼ねて細かい区分けも入れています。

 公私ともに、現実に何かが起こって(問題とは限らない)それを契機に流れが変わります。
 心は酉。酉は位相法がなく、普通に過ごせますが、日年が冲なので心もその影響は受けます。
 こんな具合に、文言を場所に当てはめて応用して使ってください。
 害とか、古典の解釈からも多少引用しているので、
 子の「色恋の問題が起こりやすい」とかいうのは、古典的な解釈です。
 日運勢なので、何に注意するかというあたりを基準に見ていただければと思います。

 続、孤独と創造です。
 キーワード「創造」でヒットした4つの番号。
 この4つを見て、3つの共通項(全部ではなくて3/4)がすぐにひらめいた人はプロ級です。
 
 基本は日干支ですが、干支意味は、月干支でも年干支でも使えます。

 ①3つが戌亥天中殺グループ(1~10)
 ②天干が火性と水性の精神干
 ③4、9、10、は本元の星が龍高星(日干支のみ)

 戌亥天中殺グループは、気の方向が天上の精神に向かう天中殺現象を持っています。
 木火土金水で陰占では火性と水性が精神を表す気です。
 陽占では、火性(鳳閣星・調舒星)、水性(玉堂星・龍高星)。
 日干支で4番と10番は、水性と火性で、地支が1気しかなくて、それが龍高星です。
 戌亥グループなので、この二つの番号は、学問芸術といった仕事や趣味がないと、
 現実だけを当たり前に生きることは、ストレスをためるだけになります。

 天干が下一桁、3、4、9、0の番号は、精神質を持った番号です。
 そこに、陽占の火性(鳳閣星調舒星)や水性(龍高星玉堂星)が加わったり、
 エネルギー値が1~5の精神星だったりすると、創造的な世界が居場所になりやすいです。

 創造に関しては、葛藤する精神(孤独)+龍高星 これが算命学的公式です。
 星の二連変化で「創造」をキーワードにすると、次の5つの組み合わせがヒット。

 龍高星→剋鳳閣星 神経が緊張しやすい。過敏と葛藤。精神へ逃げる。芸術的創造が生まれる。
 龍高星←剋司禄星 革新の龍高星に保守性が出る。龍高星が葛藤。現実的創造力が生まれる。
 龍高星←牽牛星  革新の龍高星が玉堂星的に変化。葛藤があり、何かを創造する才能になる。
 龍高星≒←玉堂星 方向感のない葛藤や迷い。異質な入力情報の葛藤は、思わぬ創造力となる。
 玉堂星←牽牛星  玉堂星が龍高星的性情になる。既存のフレーム内で自分流の創造をする。

 星の世界では、龍高星が創造する星になっていることがわかります。
 それと「葛藤」が必要なんですよね。葛藤が孤独感につながるので、
 ニーチェさんのいう、孤独と創造との関係は、算命学的にも成立します。





 5/25(金)
 

 昨日の続きです。算命学で、孤独と創造の関係を見てみます。
 孤独というキーワードで干支占技を検索すると、20数件ヒットします。
 1/3強。異常干支には必須の世界かもしれません。
 でも、創造では4件しかありませんでした。
 単語検索なので、他の言い方で創造を意味しているものはひっかかりませんから
 創造性をもった干支が少ないわけではありませんが、干支占技では連動しません。
 「孤独」の中で、孤独感とか感情的な記述を抜かして、運命的な孤独に近いものは7件でした。
 
 全部異常干支にしてもいいと思うのですが、5と28は一応普通干支です^^
 異常干支(18、19、36、42、54)に共通しているのは、地支が全部主観星であること。
 本元だけをみると、18・牽牛星、19・司禄星、36・司禄星、42・調舒星、54・石門星。
 5・貫索星、28・禄存星ですから、5と28は情緒的に感じる孤独感ではありません。
 この二つは、むしろ自分から離れて行くような感じでしょうか。孤独を感じない孤立に近い。

 地支が全部主観星というのは、個人感情で人生を作っているということです。
 一見、みんなそうだろうと思えるでしょうが、主観と客観では、
 感情(自分の思い)に影響される度合いはかなり違ってきます。
 孤立しても孤独感に襲われることは少ないでしょう。その違いが主客の違いです。
 恋愛一つをとっても、主観と客観では違ったスタイルになりますし、
 幸福感もダメージ度合いも、持続力も、違うものです。
 禄存星と司禄星の違い、車騎星と牽牛星の違い、鳳閣星と調舒星の違いです。

 12支では「巳」の3つが目立ちます。
 巳と午は、12支の真ん中に位置して、陽極まって陰転する時間帯にあって、
 陰陽混濁、陰陽拮抗する本質があります。陽を陽気、陰を陰気とするなら、
 拡大すると、躁(陽)鬱(陰)的な傾向が潜在していることになります。

 季節感で見ると、卯辰巳午(亥以外の6つ)は、春と夏の明るい季節の支です。
 秋冬のほうが陰気=孤独という感じがするものですが、このあたりも面白いですよね。

 もう一つ、5と28以外の異常干支は、地支本元が丙丁壬丙丁となっていて
 火と水の精神干です。本元に火や水の精神干が来る干支は、

 子・1、13、25、37、49
 巳・6、18、30、42、54
 午・7、19、31、43、55
 亥・12、24、36、48、60

 この4つです。本元が精神干(火性水性)だと、それだけで安定を欠きます。
 即、孤独でもないですが、不安定な12支のベスト4といってもいいでしょう。
 一般の方には面白くない話でしょうが、明日、もう少し詳しく見て行きます。





 5/24(木)
 

 今年はずっとお騒がせばっかりですね。やはり、このほうが落ち着きます。
 天中殺を言い訳に使うのは言語道断 

 一週間以上、ずっと引きこもって、パソコンと向き合う日々で、
 人ともほとんど話さない時間が続くと、いろいろな考えが浮かんできて
 良し悪しですね。とても健全とは言えません。
 
 こうなればいいですけどね。これは、ニーチェさんのおっしゃる通りでしょう。
 何か考える時は、いつも逆の発想をするようにしています。
 孤独じゃないものは創造的ではない? これは必ずしもそうではないと思いますが、
 創造の質は、孤独者とは違ってくるでしょう。
 創造って、自分で世界を作るってことだと思います。

 人と協調できて、そこが居場所になる人なら、あえて創造することもないのでしょう。
 孤独者は、自分で作らないと、居場所がないんですよね。
 映画見たり、テレビ見たり、本読んだり、ゲームに夢中になったり、
 それはそれで一人の居場所には違いないのですが、借り物は所詮借り物で、
 そうした、既存の上では、孤独者は居場所を持てないのだと思います。
 だからこその、孤独で、だからこその創造者です。

 

 「善悪において」というのは、おそらく既存の価値観において、ということでしょう。
 孤独って、既存の中に居座れないってことだろうと思います。
 既存を前提に創造しても、それは、誰かの役に立つことはあっても、
 孤独者の居場所にはなりません。

 壊すって、大変なことのようですが、孤独者はそれが可能です。
 その意味では、壊さなくても、もうすでに、大部分は壊れているのだと思います。
 だからこその孤独。

 「ニーチェ語録 孤独」で検索した結果、3つがヒット。
 

 これまでのお言葉に比べると、あんまりおもしろくないですね。
 ということは、ニーチェさん、
 けっこう本気で、孤独を感じていたのかもしれませんね・・・





 5/23(水)
 

 どうも、矛盾が多すぎて、安倍さんいまいちですね。これ、今日限りで止めましょう f^_^;
 変化の激しい天中殺、ということでお許しください。司禄星中殺全開です(^^)

 

 だんだんニーチェさんっぽくなってきました(^^)v

 公園体操を始めて5カ月が過ぎました。
 学校体操では漠然としか気づかなかった自然の推移が、実感できます。
 今はもう、6時過ぎでも、太陽は川面をキラキラさせて上空にのぼっています。
 腹筋運動で仰向けになると、青い空が見えて、鈍感な僕でも気持ちが良いと感じます。
 季節によって、風がこんなにも違った感触になるってことも、実感できます。

 

 自分の選択とは無関係にそこにあって、自分には100%無関心で、
 なおかつ身近に感じることができて、勝手な感情を抱いても、
 表情一つ変えないものって、ないですよね。自然だけかな。
 「身近に感じることができて」というところが最大の条件です。

 それでも、僕は、それほど自然の中に身を置きたいとは思いません。
 僕にとっては、自然との関係も人間との関係も、同じなんだろうと思います。
 けっこう、最悪なことかもしれませんが、大人になってから、
 ずっとそうだったような気がします。

 算命学では、人間は自然と同じように作られているといいます。

 

 あ、いかん! 完全にニーチェさんに侵されている(ーー;)





 5/22(火)
 

 古典を見て行くと、古代人がいかに自然から学んでいるのかがよくわかります。
 自然以外にお手本がなかったとも言えます。
 人間は自然の一員であって、人間とは何か、生きるとはどういうことかを知るためには
 自然から学ぶのが一番だと考えたのでしょう。
 占いというと、神秘性といかがわしさが同居しますが、自然学として人間をとらえると言えば
 当たり外れではない、算命学の別側面が見えてきます。

 東洋医学も、陰陽五行や宇宙と地上の連動、人間が自然と同じという観点から作られています。
 自然の働きを知ることが人間を知ることにつながる。
 体を五行で分類し、それぞれがバランスよく機能していくことが健康だと考えます。
 多すぎるものを抑制し、足りないものを補う。これが基本的な考え方です。
 算命学もバランスを重視します。

 老子はそもそもの根源(宇宙の始まり)は、カオスだといいます。
 名付けようのない、とらえようのない、見ることも触れることもできないものです。
 でも、根源は確かにあって、根源が具現している姿が宇宙(自然)です。人間も入ります。
 古代中国の人は、森羅万象は5つの要素でできていることを発見しました。
 その5要素(木火土金水)が生じあいぶつかり合い、変化生成するのが自然(人間)の姿です。

 変化生成は根源の姿でもあります。宇宙の本質です。
 それは決してバランスから生まれたものではないでしょう。
 世界がそれでもある調和によって保たれているとしたら、それは総合的なバランスであって
 個々のバランスの集積ではないと思うのです。
 ましてや、変化生成はバランスからは生まれません。
 あえて言えば、均衡を保とうとする本能がバランスを生じるでしょう。
 そして、その本能は、アンバランスから生まれるんですよね。

 人間は、幸福や安定を人生の目的にすべきではないのではないか、と思えてきます。
 さっそく、ニーチェさんに聞いてみましょう(笑)

 

 理性的の中には、バランスや常識も含まれるでしょう。
 これは、すごく正論だろうと思います。
 問題は、本能を「あるべき一つの姿」に置き換えるところだろうと思います。
 超人志向が本能の人もいれば、一家団らんが本能の人もいる。
 本能を宿命に置き換えると、算命学的にはわかりやすくなります。
 誕生日の数だけ宿命があって、宿命の持つ本能は個々みな違っています。

 だから、一つの正論、こうすれば幸福になれるとか、
 人はこうあるべきだとか、そんなものはないのだろうと思うのです。
 本能(宿命)を知らず本能(宿命)に逆らう生、そこから生じるビョウキを
 算命学で修正できればと、日夜戦い続けています(^^)/

 大変お待たせして、申し訳ありませんでした。
 大山鳴動して鼠一匹の感はありますが、第三回算命講座要綱ができました。
 「大安吉日」にアップ(^^) サンプルもご覧になれます(トップページから)。
 講座開始は、5月25日(金)です。宜しくお願いします<(_ _)>





 5/21(月)
 

 朝は風が吹くとちょっと肌寒いような気候ですが、このぐらいが運動には丁度いいです。
 僕は過度の汗っかき。暑い日は、朝でもぽたぽた汗が流れて、ハンカチでは足りないくらい。
 そして、消耗度も大きくなります。でも、一度パターンができると、
 それを変えるのが苦手になるので、無理して、後悔につながることもあります。
 ほんの1,2分ですが、足を止めて、馬頭観世音菩薩様にお参りをする習慣を作りました。
 
 公園の片隅ですが、ちゃんとお花とお水が添えられていて、何日かたつと変わっています。
 僕は、休息タイムと無事の御祈願ですが、御祈願で助けられた人もいるかもしれません。
 これは、信仰とか、宗教とは違いますよね。「祈り」です。

 僕は毎日、仏壇で祈り、この馬頭観音様で祈っています。
 体験上、祈りは具体的な方が良く、そして、声を出したほうがいいです。
 単に他力を頼む祈りは、毎日はできません。背景に努力は必須です。

 信仰は人それぞれで、それは、誰かがとやかくいうことではないのですが、
 ニーチェさんは神様のスペシャリストですから、とやかくいいます(笑)

 

 僕が惹かれたのは、信仰についてではなくて、「世界は美しい事物に充ち満ちている・・・」
 大昔、甥(姉の子供)と、隣の部屋にいるゴキブリの存在について、
 口角泡を飛ばす大論戦をしたことがありました(前にも一度書きましたね)。
 「今、隣の部屋にゴキブリがいて、僕たちはまったく気がつかないとする。
  では、そのゴキブリは存在するといえるのか?」
 彼(当時大学生)は存在すると言い、僕は存在しないと言い、大論戦です^^

 「美しい事物が露になる美しい瞬間」それは待っていてやってくるものではなくて、
 そこに目を向けたとたんに、姿を表すものです。
 誰も見ないゴキブリは存在していないことになります。

 神を通してしか世界がみれなくなる「信仰」は他の美を見るチャンスを奪っていると
 ニーチェさんはおっしゃいます。それは、まったくその通りです。

 でも、神を通してしかみられない美しい世界があるとするなら、
 ニーチェさんはそれを見ることが出来ない、という逆説も成り立つので、
 こうした論争は不毛です。

 「真実」をものさしにできればいいのでしょうが、
 ニーチェさんのお言葉を「真実」としてしまうと、
 それは、ニーチェ信仰になってしまうかも(笑)

 それはそれとして、信仰を「信念」とかもう少し感情的に「執着」とかに置き換えると、
 そのとたんに、充ち満ちているはずの美しい事物が姿を消してしまうことになる。
 これはたしかにそうなのですよね・・・

 これって、結婚を決める時のモテ女子(男子)の心境と似ているかもしれませんね(笑)





 5/20(日)
 

 大矛盾ですね。始まりがいいという12直と仏滅の組み合わせ。
 仏滅でもいいことないかなと、もう一度ネット検索。ありました!
 「仏滅=物滅 として物が滅び、新たに物事が始まるという意味で、
  大安よりも何かを始めるのに適した日とする説もあります。」

 古典を探っていくと、いろいろな解釈があることに愕然とすることがあります。
 算命学をやっている時には、もう、これが最高の真理だと思って、読みこんできたのですが、
 ルーツをたどって行くと、諸説ありすぎで、これはもう、根拠をたどることではなくて、
 「算命学」として、肯定して、信じるしかないなということがわかりました。
 

 通常は過去があって今がある、と考えます。でも、古典解釈のように、その連なりの中で、
 過去はどんどん変形されているわけです。その過去が変形されて行くプロセスの中に、
 未来が占める要素を入れろとニーチェさんはおっしゃる。
 
 ニーチェさんはキリスト教以降の人類を堕落したと嘆いた人ですから、
 その連鎖を断ち切って、新しい人間を創るためには、
 それを「思い描くこと」が大切だといいます。
 「それ」とは、流れの中にいる今の延長線上ではなく、
 流れを断ち切ったところの未来。「脱皮した未来」です。

 個人的に言えば、夢とか目標とかでしょう。
 それが確固たるものであればあるほど、それを思い描くことによって
 今が変化して行きます。今の変化が瞬間で消えるかどうかは、
 夢や目標が自分にふさわしいものであるかどうかの目安になります。
 どれだけ長く、未来を描いていられるか、そして何よりも、
 それによって、どれだけ今が変化しているかどうか、
 この二点が、夢の適性を測るものさしになるのだと思います。

 その意味で、「占い学」は、過去を断ち切ることも未来を描くことも、原則、できません。
 踏襲することが、占いを守ることであり、持続という発展を続けることです。
 でも、古典解釈がさまざまであることは明白です。
 同じ古代中国占星術でありながら、算命学、四柱推命、紫微斗数、九星気学、宿曜占星術
 まだまだたくさんあると思います。
 それぞれの占術でも、そのプロセスでは、書き換えや書き足しがあったろうと思うのです。

 「大運天中殺、1、2旬にあってもしょうがないよな。強運なんて使えないじゃないか。
 結局は、成人後に発展するんだから、初旬にあったら、3旬から大運天中殺としよう」
 (笑)、これは冗談ですが、「占い的真理」が出来上がる数千年のプロセスでは、
 こうした改善も加わっているように思います。その時の権威の、鶴の一声で。

 そうした疑問がわいてくるとキリがないです。結局、原理原則に戻りたいと思い、
 古典から学習し始めたら、ますます、迷路になってしまいました。
 そこで、算命学を信じることを前提として、算命学の基本的な原理に立ち返って、
 もう一度再構築しようと、奮闘している今日この頃、なんていう余裕はないので、
 とにかく、老体に鞭打って、来週中にはなんとか講座の概要をお知らせできるようにします!





 5/19(土)
 

 なんだか、いくらやっても際限がないくらいに、問題がわきあがってきて、
 どんどん、脱線していくのですが、止められません。
 なんでも天中殺のせいにはできませんが、年運勢の司禄星中殺そのもの。
 作っては壊れ、又作り直しては壊れ・・・ノウハウは身につくはずなのですが、どうでしょうか。

 

 今、干支とエネルギーの関係に夢中です(笑)。横道はこんなところに逸れています。
 教科書では最初に習う表で、いまさらなのですが、今まで疑問を持たなかったのが不思議。
 天中殺はすごいです。こんな初歩的なことにまで疑問や探求が及ぶようになります。

 例えば、10点の天南星。日干甲だと丑(冬の終わり)から生じ、乙だと辰(春の終わり)です。
 同じ木性で、同じ10点なのに、力の質はかなり違います。
 強弱で言えば、日干乙で木性の旺地(春)の辰から生まれた天南星のほうが強いでしょう。

 でも、それを使う人は陰気の乙(例えれば女性)。
 一方の甲は冬の終わりの丑から生じた10点パワーで、それほど強くはありません。
 でも、使う人は男性だから、と考えると、弱い10点でも、ほぼ同じような力になるのかと、
 自然の采配に、実に感心させられます。

 古代の女性は、地位も役割も限定されていて、力を出す必要もなかったわけで、
 それなら、悪くないバランスでしょうが、男女平等になってくると、陰陽差が薄くなり、
 そうなると、甲の10点は乙の10点にかなわないというパワー比較はできるでしょう。
 算命学的にも、女性は強くなると感じられます。

 でも、8点の老人パワーを見ると、男甲は逆に春の旺地辰から生じています。
 女乙は冬の終わりで、10点とは逆の配置です。
 甲の老人パワーは、大将がその座を一歩退いたという位置で、数値8よりはずっと強いです。
 社長を譲って会長職に就いたけど、まだ、代表権はもっているぞ、みたいな。
 乙のほうは冬の終わりの季節になって、次は真冬ですから、隠居老人に近いです。

 もう一つ、2点の死人エネルギーをみると、差はもっと顕著です。
 男性(甲)の真夏午は2点の死体、女性(乙)の初冬亥は2点の死体。
 女性(乙)の真夏午は9点の少女、男性(甲)の初冬亥は9点の少年。
 同じ季節でも、陰陽の違いで、7点のエネルギー差があります。
 考え方としては、甲(樹木)は夏には成長が止まり、乙(草花)はまだ萌える季節で、
 冬の甲(樹木)は、春に向かって、新しい精気を身に着ける時で
 冬の乙(草)は、冬枯れの状態で、エネルギーとしてはまさに死体です。
 同じ季節でも陰陽によってこんなにも力の差が出ます。
 同じ力でも陰陽によって、夏の死体と初冬の死体という大きな質の違いがでます。

 エネルギーを見る限りでは、占いは男性社会用にできていると、実感します。
 古代中国社会を考えると、当然そうですよね。

 こういうことに気がついて、占いに活かしている方もいるのかもしれませんが、
 通常は、教科書通りに、10点は10点、2点は2点、陰陽の差は考慮しません。
 今後、性差がなくなる時代がやってくると、こうした差異が目立ってくるかもしれません。
 僕のように男性なのに日干が陰気だと、春夏は強いけど秋冬はだめ、みたいなこともあります。

 これは、甲乙だけでなく、すべての五行に共通の差異です。
 違うのは、五行によってそれぞれ旺地が違うということで、
 配置のパターンは同じです。

 

 火性と土性は同じです。夏が旺地で、エネルギー配置は甲乙と同じ。
 それをどう加工するのかというのは、今の本題ではないので、これで終わりですが(笑)
 こうした差異を、明文化して、実践に役立てたらなという思いはあります。
 例えば、甲剋己と癸剋丙が同じ司禄星として解釈されていいわけはないとも思います。

 一応、問題提起はしましたので、占いに興味があって、若くて元気な方!
 ぜひとも研究して、未来社会に対応できる、役立つ占いを構築してください<m(__)m>
 天中殺はまとめが難しいので、アイデアを出して、その後は人に任せるのが対処法です(^^)/





 5/18(金)
 

 蒸し暑いって感じで、少し早いですが、扇風機を出しました。
 エアコンなし生活も、もう、4年くらいですかね。慣れました。

 

 ミニ扇風機。これを机の下に入れて、今年は足から冷やして行く作戦。
 頭寒足熱、ん? 逆か・・・ま、涼しければいいでしょう(^^)
 これで、この夏も乗り越えようと思います( *・∀・)9゙ファイトー♪

 *韓国ドラマのセリフシリーズ
 

 出だしの2行は名セリフなのに、結末はあまりおもしろくないですね。
 「感情に流されてしまうからだ」は当たり前すぎます。
 そもそも「幸せ」という言葉自体が、感情に過ぎないからです。
 
 ニーチェさんのお言葉を借りるまでもないことですが、
 幸せなんて、探してもどこにもないものを約束はできません。

 

 山の向こうまで探しにいっても、ないものはない^^
 宿命的にいうと、「幸せ」は、それが感情レベルのことなら、
 主観星(調舒星、司禄星、玉堂星、牽牛星、石門星)が作り出すもので、
 客観星(鳳閣星、禄存星、龍高星、車騎星、貫索星)は、めったに思わないでしょう。

 鳳閣星なら、そんなものはどっちでも良くて、本人がそう思えればいいのよ、といいそうです。
 禄存星が、君を幸せにするよと言えば、それは口説き文句か、その場限りのセリフです。
 龍高星、車騎星は原則言いません。言ったとしたら、詐欺師かもしれない(笑)
 貫索星は、客観星の中では唯一、言うかもしれません。欲しがることもあるでしょう。
 ちなみに、主観星、客観星という区分は"靑"流で、算命学には特にありません。





 5/17(木)
 

 12直とか六曜とかは、全員に共通なので、当たる人もいれば当たらぬ人もいて、
 一見、運勢的な意味はないように思えます。でも、何百年か前では、
 こうした占いに合わせて、生活していた人もいたわけです。まったくダメなわけではない。
 どう活用するのかと言えば、大安なのに、思わしくなかった昨日の僕は、
 運勢を活かせない状況のところにいると考えてみます。
 運勢は背景のようなもので、その背景にどんな絵を描くかは、僕の生き方の問題です。
 思い通りの絵を描ける運勢の日に、歪んだ絵を描いてしまったとしたら、
 それはもう、はっきりと、背景ではなく、自分の実力が露呈したってことです。

 思い通りに行かない日に、思い通りに行ってしまったとしたら、
 それは、思いではなく、役割ややるべきことであったと考えられて、
 それは、良く役割を果たしているという証左になります。

 思い通りに行かない日に、思い通りに行かなかったら、
 思い通りに行かないことの中に、変化の兆しがあったり、
 出来事から学ぶべきことがあるということでしょう。

 

 徒然草にある言葉です。
 これは、まさにそうだろうとは思うのですが、

 
 同じ言葉でも、背景によって、印象や感じ方はちがってくるものです。
 背景が白なら、それはもう、その通り!と思えるのでしょうが、
 背景が黒だと・・・それはどうかなぁ、と思う人も出てくるでしょう。
 みんなに共通の運勢は、こんなふうに、背景としてイメージできればと思います。

 *韓国ドラマのセリフシリーズ
 

 これも、どのドラマか忘れちゃったのですが。。。「客主」ですかね。
 とにかく、力のある言葉です。そして、その通りだなと思います。
 幸福と悲しみって決して+5と-5ではない。
 合わせてゼロになるものではなくて、+5と-Eみたいなもので、
 異質なまま、両立するのだと思います。

 消えることがあったとしても、それは、相殺や上書きではありません。
 
 という類のものだと思えます。




 5/16(水)
 

 28宿と12支はやめました<m(__)m> 吉凶が時代的ですし、他と矛盾するので。
 僕らの世代では、おお、今日は大安だ、というほうがすっと入ってきます。
 が、しかし、あんまり大安ていう一日でもなかったですね。体調もいまいち・・・

 

 ニーチェ語録を見ていて、このあたりが、最初のニーチェ入門だったと思います。
 僕も病んでましたから(笑) 地球の皮膚病が人間っていうのは気に入りました^^
 まだ、20歳前後のころ、学校の先生になろうと思っていた時があって、
 若気の至りというやつですが、教職課程を履修していて、その時の選択科目でした。
 教職課程はさすがに1年でありえないと自覚して、止めました。
 科目は「西洋哲学」。他に、おもしろそうなのもなかったので、授業に出ました。
 学生生活の2/3は麻雀屋とビリヤード屋とパチンコ店にいたのですが、残り1/3は、
 必修語学とこの西洋哲学と、古代中国哲学でした。これらは今も役に立っています(^^)

 

 その時の教授の名前はなぜか憶えていて、wikiにも出ていました。
 ネットには当時の教科書もありました。我が家にはとっくにありません f^_^;
 斉藤教授は、我らが3流校にいるような先生ではなかったようです。哲学科の看板教授で、
 先生の講義を受けたくて、他校から転校してきた人もクラスメイトにはいました。
 椅子に座って、たばこを吸いながらの授業でしたが、とにかく、話が面白くて、
 珍しくノートを取って、ほぼ、全講義に出席したと思います。

 印象に残っているのは、たばこの代わりにチョークを口に持って行き、
 「煙草を吸おうと思って、間違えて白墨を口にくわえたとする。
  さっきまで黒板に字を書いていた時には、実に役に立っていた白墨だが
  口元に持ってきたとたんに、なんの価値もないただのモノに変わる。
  これが価値ということだ」というような話です。
 ここから、ニーチェがいかに神を殺したか、という話が展開されました。
 それ以前にもニーチェには興味を感じていたのですが、これで一気にファンになりました。
 とはいえ、その時限りで、別にニーチェを研究してきたわけではありません。

 それがなんで今頃マイブームになってきたんでしょうね・・・
 5月の初めころ、価値について書いた時に引用してからですね。
 そうそう、「価値」について考えると、ニーチェが浮かんできて、
 斎藤教授のたばことチョークの話が蘇るのです。

 障害レベルに記憶力は悪いのですが、本当に感動したこととか、
 心に刻まれたことは、良くも悪くも、簡単に消えないものですね。

 
 誕生日が載っていたので、見てみました。
 先生は特に、ニーチェの専門家ではなく、ハイデッガーやキルケゴール、ショウペンハウエル、
 というあたりの、研究をされていたようです。履歴がおもしろいですね。
 高校を出た後、銀行にちょっと勤めて、それから早稲田、東北大とすすんでおられます。
 ニーチェさんと同じ生月中殺。貫索星中殺もありますね。
 性格などはまったく存じ上げないのですが、白髪まじりで、品性のようなものはありました。
 落ち着いてゆったりとお話をされていたと思います。牽牛星18番という感じでしたね。

 龍高星中殺らしく、一人の人の研究者ではなく、多方面に興味は向かっていたようです。
 貫索星中殺と龍高星中殺では、どこまでも、自分の考えにこだわった生き方を貫きます。
 商業学校→銀行→哲学科、という変遷にもそれは感じます。唐突な行動力というのもあって、
 wikiには「1961-1962年渡欧しマルティン・ハイデッガーに会う」という記述もありました。
 日本の哲学界にも大きな影響を与えたハイデッガーですが、実際に会った日本人は、
 そんなに多くはないと思います(たぶん)。中殺二連のなせる技でしょう。
 あと、天禄星中殺も「大胆さや冒険心」というのがありますね。
 この月支中殺は、人が躊躇するような、何か、思い切ったことをする仕掛けが満載です。

 18・46・44で検索したところ、尾崎正直現高知県知事がヒットしました。
 1967/9/14 60年後の同月数日違いでは、同じ番号の人がいます。
 このかた、東京大学経済学部卒で大蔵官僚となったエリート。
 才能豊かな宿命のようです。





 5/15(火)
 

 最近はあまり聞きませんが、昔は何か悪いことが起こると「今日は仏滅だぁ」って
 嘆いてましたね。その仏滅の日でした・・・今日の仏滅は、ブレーカーダウン┐(-。ー;)┌バカ
 お昼に、トースターとお湯とレンジを3つ使ってしまい(何度後悔したことか)、停電!
 そういう日に限って、メモ帳で書いていて、エクセルは復活があるのですが、
 メモ帳にはそういう機能がなくて、午前中に書き溜めたものが消えました 号(┳Д┳)泣
 発狂寸前ですよね。愚かな自分を呪って、ため息ついて、終りです。
 あんまり尾を引くほうではないのですが、おのれの軽率さに、愛想が尽きました。

 最近は毎日仏滅のような気がして(笑) 悩みは深いです。悩みというよりも迷いですね。
 胃が重い日々です。占いでこんなに悩んだことはなかったですね。

 どうしたらいいのか、ニーチェさんに聞いてみましょう。

 

 こういうのを「虎の威を借る狐」って言うんでしょうね(笑)
 そんな高尚なものではないですが、でも、
 悩んでいることがどこかにたどり着くかもしれないと思えれば、
 もう少し、悩んでみようかなという気にもなれますよね。

 

 このあたりがニーチェさんの「崇高さ」なのでしょうね。
 「選んだ道」と「目標」の微妙な違いに、こだわることができる。
 この場合の「目標」には、自分が掲げた理想や使命感のようなものが含まれるのでしょう。
 「選んだ」「道」という言葉には、現実味が重なります。
 時には仕方なく選ぶこともあるでしょう。生活のためにとかいう理由で。
 「選んだ道」の持つ現実臭には、「崇高」さはありません。
 でも、人は、現実臭のするほうが頑張るんですよね。わかりやすい。達成感も目に見える。
 結婚の言葉にもあった「必要」は大義名分になります。でも、「必要」は「崇高」ではない。

 
 ニーチェさんの星です。
 天南星の持つ純粋さは、ある意味「崇高さ」です。
 「道」と「目標」の違いにこだわれるのかなと思います。
 天性の自尊心が天南星にはあります。誇りを大事にするとか、自己矜持がエネルギーです。
 5・44・50・53・56・59 これが天南星を持つ番号。
 だから、この番号の人たちは、誇りを傷つけられることを嫌います。
 恥ずかしい思いをさせるのは、怒らせることにつながります。
 かといって、ただおだててもだめです(笑) 誇りのツボを押さないと。

 今の悩みはエネルギー(十二大従星)。
 これまでの算命学学習は、答えを知って解釈してきたわけですが、
 天南星は「若々しいエネルギーで直進的な前進力があって、批判力が強い、怒りっぽい・・・」
 それで当たるからいいのですが、5番戊辰はなぜ天南星エネルギーなのか、
 ということが気になり始めて、干支とエネルギーの関係をもっと密着して解釈できないかと、
 そんなことに手を染めだしたら、干支論の主体がエネルギーになってしまって、
 今までの、序数干支や語源解釈や、そんなものが霞んでしまったのです(T_T)(T_T)
 苦節四カ月(笑) これを全部ひっくり返すことを思うとがっくり来ます。
 いままでのことを「道」とするなら、十二大従星主体の干支論は今では「目標!」
 まったく、ころころ変わって情けなくなりますが、徐々に確信に近づいているような気もします。

 
 がんばりましょう・・・
 あ、・・・じゃなくて、!!です。





 5/14(月)
 

 どうも、矛盾があって、よくないですね。日にちが二つあるのも混乱するし・・・
 しばらくやって、あんまり意味がなかったら、止めましょう。

 

 都営住宅、事故物件。今回、文京区はありませんでした。
 事故物件はたくさんあります。前回から3カ月くらい。けっこう多いですね。
 なんとも、気が重い話ですが、仕方ないです。
 候補を考えると、やはり多少なりとも土地勘のあるところに目が行きます。
 世田谷区とか渋谷区とかは気が向きません。人と居住地は相性があるのでしょうね。
 僕はどんな環境でも大丈夫だとは思うのですが、庶民的であるほど居心地はいいです。
 今回は、北区にしました。それで、14日は「先勝」さっそく、朝一で投函!!

 *韓国ドラマのセリフシリーズ!
 
 これは説明もいらないでしょう。事故物件然りです。
 長く生きているほど、この言葉がほんとうにその通りだと実感します。
 はかなくもあり、しぶとくもある。命を実感する位置にいるものとしては
 こうしたセリフが、沁み込んできます。

 
 
 ニーチェさんはどうなんでしょうね。危険と遊びが好きな男とも思えません。
 個人的には何も知らないわけですから、誤解かもしれませんが。
 観察眼はずば抜けているでしょうし、人からの言動にも影響される宿命なので、
 一つ考えられるのは、自分の行動と結果に対して、シニカルな答えを出したのかなと。
 ザロメさんとのことを危険な遊びだったと、総括したのかなと・・・
 反省はできなそうなので、理屈で決着をつけているのかもしれません。
 
 ニーチェさんの宿命、地支は月支を中心に左右対称です。中殺月支が要(かなめ)です。
 癸司禄星が中殺丁玉堂星を激剋しています。これは思考に現実要因が多く入ります。
 玉堂星が中殺されると、常識や既存に対して、非常に懐疑的になります。
 若い時は逆に一生懸命既存を受け入れたり、目上の言うことを必要以上に聞いたりします。
 wikiに次のような、玉堂星中殺初期的エピソードがありました。
 「ニーチェが市立小学校に通っていた頃、帰りににわか雨が降って来た。他の子供たちは、
 傘がなく走って帰って来た。にも関わらずニーチェは一人雨の中を頭にハンカチを載せて
 歩いて帰って来たという。心配して途中まで来ていた母が「何故、走ってこないのか」と
 怒ったところ、ニーチェは校則に帰りは走らず静かに帰れと書いてあるから、と述べたという。
 このエピソードは、よくニーチェという人物の生真面目さと結び付けられて語られている。」
 両現実から激剋される玉堂星中殺(目上・常識中殺)は、初期は自分で思考や感情が作れないので
 親や先生、環境を受け入れることで思考も感情も作られて行きます。
 このエピソードは初期の無条件インプットです。初期は自分で吟味できないので丸呑みします。
 それがある時ひっくり返って、反対の極へと振れます。
 
 これが玉堂星中殺的な思考です。信じるのも疑うのも際限なく深みに入るので危険もあります。

 wikiに「生涯を通じて音楽に強い関心をもっていたニーチェは
 学生時代から熱烈なワーグナーのファンだった」とあります。
 24歳くらいから交流を深め、「妻コジマとも知遇を得て夫妻への賛美の念を深めた」ようです。
 ニーチェはワーグナーにとことん心酔して、彼への賛美は「ワーグナー自身を狂喜させるほど」
 だったとありました。日支戊に友人が入ることはまれですが、心酔(自己同一)するなら
 あるかもしれません。そして、魅了された妻コジマさんが癸に入ると、
 この夫婦の影響で玉堂星中殺がどんどん深まって行き、それは中殺辛調舒星(感情)を打ち、
 中殺の戊自我へと流れ込みます。中央1点の玉堂星中殺はこの宿命のキーになる働きをします。
 激剋された辛調舒星が牽牛星を激剋すると「人を傷つける言葉等を発しやすい性格」となり、
 「個人感情が大義を持った役割と化す」というところまで行きます。調舒星+牽牛星は、
 何度か出てきましたが、個人的な思考や発想が新しい世界を作る力と才覚となる構造です。

 
 もしかしたら、これは、ニーチェさんがワーグナーにした行為の自戒ではないでしょうか。
 というのも、後に、ワーグナーが王様や皇室からの援助を受けて、「得意の絶頂に」あった時、
 ニーチェさんはそんなワーグナーに失望したのです。ワーグナーはかつてのワーグナーではなく、
 「古代ギリシア精神の高貴さではなくブルジョア社会の卑俗さにすぎないことを」確信して、
 「市民社会の道徳や宗教といった既成概念を突き破り、芸術によって世界を救済せんとする
  かつての革命家ワーグナーでない」として、決別します。これがニーチェさんの後悔となり、
 ワーグナーを過大評価した判断力の欠落を、上のような語録にしたのかなと思えてきます。

 日支の戊癸が自分のものになると、中殺玉堂星も自分の現実体験から触発され、
 それが中殺感情と中殺自我を作ります。調舒星は即、牽牛星に入って、大義となって
 ニーチェ語録が完成します。「脱皮しない蛇は死ぬ」という、ニーチェの言葉も、
 ワーグナーへの言葉かもと思いたくなります。

 妹や義弟も日支戊癸に入る可能性があって、そうなると、同じことが起こってきます。
 語録の中には、夫に心酔して、誤った方向へと向かっていく妹への忠告や批判も
 数多くあったのではと想像します。
 宿命から考えると、ニーチェ語録の多くは、彼の内省や深い思索から生まれたというよりは、
 周囲の人物への批判や彼らの愚行に触発されて生まれたのではと、思えてきます。





 5/13(日)
 

 今日は「除」。とりあえず、いいことをやることにします。
 久々に掃除をしました(^^)  
 これから、除の日を掃除の日とすれば、12日に1回できます!
 と書いて気がつきました(ーー;) 今日は房だ・・・除は明日・・・
 一日早く掃除してしまった。。。。。なんだかなぁ・・・こういう混乱に弱い天馳星^^

 

 上の言葉を見ると、半可通を一見肯定しているようにみえなくもありません。
 でも、実際に言っていることは下のことなんですよね。
 半可通で日記を書いている僕には耳の痛い話ですが、ドキッとする言葉は
 まだまだたくさんあります。

 

 これも、耳が痛い!
 もちろん、隠したい意図や隠さなければならないことなんてないのですが、
 だとしても、結果的にこれは、実に的を得た言葉になるように思います。

 

 これなんて、僕にとっては衝撃的なお言葉です。
 禄存星+半会の自然体で、「過大」は意識にないことは当然ですが、
 こういう見方があると知ることは、びっくりするほどのダメージになります。
 否定するよりは肯定するほうが、楽で波風が立たないことは確かですし、
 そこに安直さがあれば、そのために見過ごしてしまう、重要事項があるかもしれません。
 なんという洞察力なんだろうと、驚くばかりです。

 

  「いつも」間違っているってことは、正しいことなんてないってことですよね。
 でも、概ね、正しさの中で動いてしまいます。
 それは所詮、自分の正しさなのですが、真の正しさがないとするなら、
 「いつも間違っている」ってことは、間違いでもないってことかなと、
 たまには、逆らいたくもなります^^

 42・乙巳戊庚丙 天恍星
 日居中殺も日座中殺も、甲のほうが顕著にあてはまるような気がします。
 それは陰干自体に現実性があるためですが、それだけに、自然にズレてしまう危険もあって、
 どちらがどうとはいえず、42番にも日居中殺の定義はあてはまります。
 甲辰は天堂星がバランスでしたが、乙巳は天恍星が乙の現実安定を崩します。

 天恍星は、幼児性の残る少年期としっかりしてくる青年期の中間期です。
 自分のありたい方向性を模索する時で、模索だけでなく、やってみたくなる時です。
 そこに生まれてくるエネルギーは、現状からの脱皮、脱却の意欲となります。
 既存の現実への適応性が薄い日居中殺には、ある意味ふさわしいエネルギーですが、
 多くの人は、普通の人生を歩むつもりで、乙巳を生きるわけですから、
 ありたい自分と現実社会とのギャップを大きく感じることは明白でしょう。
 「団体行動や集団の歯車にはなりにくい。」「若年において波乱多い」

 甲辰と同じように、自分の正しさは生まれつきインプットされているので、
 我が道へのこだわりは強まります。普通に生きているつもりでも、既存は外れます。
 「芸能方面に向く。海外雄飛の運」は、普通の社会には向かない、という意味でもあります。

 巳はすべて陽干で、日干は陰干が載るので、3気は皆主観的な星になります。
 自分へのこだわりが強まる所以です。
 「人生において助けが少なく、自力で人生を構築していく。」
 「自分を過信する傾向もみられる。それが自我となって表出する」

 星は、司禄星→牽牛星←剋調舒星
 本元に調舒星がきて、それが役割の牽牛星を激剋する。独断と偏見を生みやすい組み合わせです。
 「個人感情が大義を持った役割と化すので、身勝手にもなる」のが二連の答え。
 でも、個人が経験と知性を高めてくると、独自のやり方が新しい世界を作ります。
 それが日居中殺に求められていることと言ってもいいでしょう。
 自分の日常(司禄星)も牽牛星へと流れます。これも自分勝手と紙一重ですが、
 日干乙の出来によっては、既存にない新しい自己実現が可能です。
 

 「自分勝手と紙一重」をものさしにすると、、、、なるほどと納得もできる面々です。
 独自の世界に生きて、才能を発揮している人たちですね。





 5/12(土)
 
 ちょっとみ難くなりましたが、説明のために線を引きました。
 赤線は、安倍晴明さんの本にあったものです。
 大安だの赤口だのという六曜はネットから意味を拾ってきました。

 上から説明すると、「建」とあるのは、「十二直」というもの。
 陰陽道では、人間はみな北斗七星とつながっているという考え方があって
 北斗と12支を結び付けて吉凶判断をしたものが、十二直と呼ばれるものです。
 
 これはwikiにあった、十二直の表です。運勢については、いろいろな解釈があります。
 十二直は単に循環するものではなくて、月ごとに変化します。
 その月と同じ12支が最初に来た日が「建」の日です。
 5月は「巳」月ですから、13日の乙巳が「建」です。以下、除、満、平・・・と続きます。
 その他にも決まりごとがありますが、ここでは省略します。
 十二直は比較的信じられていたものですが、古典の吉凶なので、
 現代での使い道は、それほどないと思います。吉凶のニュアンスを探れれば、です。

 二十八宿は、占いとして、今でも使われているものです。
 運勢だけでなく、性格や傾向などもでるようです。
 これは、「天の赤道を、28のエリア(星宿)に不均等分割したもの。
 またその区分の基準となった28の星座(中国では星官・天官といった)のこと」とあります。
 これも、様々な考え方があって、密教系では二十七宿を正当として、採用しています。
 一個違うと、ズレて行くので、まったく違ったものになります。
 中国では二十八宿を使っているようなので、二十八宿にしましたが、
 安倍さんは密教系なので、コメントがない1日が出てきます。
 これに関しては、上段に安倍さん、下段は、ネットにあった比較的信頼できそうなコメントです。
 13日の「房」では、安倍さんは結婚は凶ですが、一般的には、婚礼が吉となっています。
 こういう違いは出てきます。ネットでも、解釈は微妙に違っていました。
 どちらかというと、密教系安倍さんが変則と言うことだと思います。是非はわかりません。

 六曜は中国発と言われていて、日本ではおなじみですが、出所は不明のようです。
 意味も手元の本にはなかったので、ネットの解説です。

 12支の運勢は安倍さんの解釈ですが、いかにも古典で、今では使えないですね。
 でも、一応、参考資料として載せて行きます。

 ただ、いずれも未検証ですし、専門外なので、昔はこうしたことで運勢を観ていた
 という参考資料としてみて頂ければと思います。
 ここまでやる意味はないでしょうという声も聞こえてきそうですが・・・
 今日は午前2時に目が覚めて、そのまま起きて、体操までの時間に作りました(^^)v
 資料を集めたり、エクセルで自動表示できるようにしたり、けっこうかかってしまいました。
 その割に、矛盾が多いし、どれを信じたらいいのか・・・どれも信じないでください(笑)
 一応、十二直を軸に参照してみてください。
 天中殺に免じて、おゆるしくださいませ。遊び気分でお付き合いいただければと<m(__)m>

 41・甲辰 甲辰乙癸戊 天堂星
 一巡したかなと思ったのですが、43番からでしたね。日居中殺までやりましょう。
 戌亥が独自の現実を作る時間帯だとすると、辰巳は独自の精神を作るといえます。
 日居中殺はその代表です。この甲乙には、神的精神が宿るのですが、
 現実は俗世の世界で、しかも、ほぼ、繁茂して極まっているようなところです。
 言葉は難しいのですが、ピュアな正しさを持った精神が、極まった俗世を生きる、
 これが日居中殺の世界といってもいいでしょう。孤高の人になる可能性もあります。

 「本能的に自己本位の活動をして、回りのものを自分の世界に引き入れる傾向をもつ。」
 干支占技の解説ですが、こうして書かれてしまうと、自分勝手な人に思えますが、
 決してそういうことではありません。天賦の神の精神で生きると、俗世ではそう見えてしまう、
 という解釈がいいでしょう。本人にとっては当たり前のことが、現実では自分勝手になる。

 そこで天堂星。大将(天将星)が隠居した星が天堂星です。一歩退く本性があって
 それが甲辰の直線的な前進力にブレーキをかけます。若い時は難しいのですが・・・
 天堂星は、現実的世界に身をおきながら精神的価値観によって身を保つことができます。
 若い時に尖がっていた無意識の「正しさ」は、内向して、信じる力となり、
 一歩下がった位置で、現実を受け入れ、体制内改革へと身を変えて行きます。
 とはいえ、日干陽干の天堂星は、いわば会長職で君臨する力のある天堂星、
 隠居的な感じは表向きはでないと思います。

 星は石門星←玉堂星←剋禄存星 周囲の者を引き入れるというのは、この石門星です。
 真ん中の玉堂星は大事です。甲に宿る神的精神は伝統の精神と通じるものがあって、
 それが現実での役割につながることがあります。玉堂星が膨らむことで石門星が安定、
 自我の肥大ではなく、人の中で果たす役割が生まれます。玉堂星を和剋する禄存星は、 
 甲辰が苦手な現実への対応を精神的なものへと変化させます。
 学ぶことや芸術的なことに興味を持ち精神の向上をはかるようになるので、
 伝統や古典へ向かう玉堂星はより稼働しやすくなります。

 辰をみたら、戊癸をみる。甲にとって戊癸は両親の正干で、乙は兄弟です。
 座下に家族が揃って、家族を通して現実を学ぶことになり、生家の影響は大きいです。
 両親健在で家に一緒にいると、婚期が遅れるというのは、あるでしょうね。
 ただ、ぴったり仲良しというわけでもないです。違和感を感じながらも和合する共存です。
 
 小倉さん、上沼さんというキャスター、司会者は、甲辰らしさを出せる仕事ですね。
 政治家、スポーツもそうでしょう。俳優は、言いたいことは言う個性的な人たちです。





 5/11(金)
 
 このところずっと風邪ひきそうで、薬を飲んで寝るため、一時間余計に寝て、
 朝起きても、しばらくぼーっとして、まだ眠気が覚めないままで、
 もっとも作業がはかどる朝一番が、だらだらと過ぎてしまい、
 普通なら、大焦りなのですが、仕方ないと諦めてしまうのは、天中殺?

 これはかなり貴重な天中殺体験をしているような気がします。
 人は空間と時間の中にあって、空間が欠落するのが天中殺です。
 これまで、自覚できる空間欠落現象は、自在な(自分勝手な)思考力が止まらないことと、
 昨日も、塾生の方とお話していたのですが「責任感が薄れている気がする」ことです。
 緊張感の欠落。役割意識が薄れたこと。そしてそれに対しての自覚の感度が鈍っていることです。

 これって、気で言うと、後ろからくる気で、主観的な働きをするものでしょう。
 星で言うと、玉堂星、牽牛星。でも、僕にはもともとこの二つの星はありません。
 ここから、天中殺の空間レスについて、二つの定義が思い浮かびます。
 空間とは、玉堂星的働き(目上の言うことを聞いたり、既存の常識を自然に入力する)と
 牽牛星的働き(協調性を発揮し、自分の役割に対して忠実にそれを果たそうとする意志)。

 僕の宿命で後ろからくる気は、龍高星と車騎星だけです。
 それでもこれまで、今(天中殺中)のような勝手かつ無責任な人にはなり切ってなかった?
 と自分では思います。小中学生くらいまでは、先生の言うことをよく聞く、優等生でした。
 龍高星車騎星よりも、玉堂星牽牛星の性質を多く発揮していました。

 人は、宿命中殺、大運天中殺がなければ、84%(100-2/12の天中殺期間)は、
 玉堂星、牽牛星的要素をなんらかの形で隠し持つ、という考え方をしたくなりました。
 空間を制御しているのは、この二つの星と同じような働きのように思います。
 逆に考えると、運勢天中殺や宿命天中殺は、玉堂星、牽牛星的資質を減額させる働きがある。
 減額というよりは、全滅に近いかもしれません。
 ただ、宿命に玉堂星、牽牛星をもっていれば(宿命中殺があっても)、全滅にはならない。
 それでも、空間分の玉堂星、牽牛星は減らされるので、いつもとは違うことは確かでしょう。

 宿命中殺の場合は、中殺の受容力がそれを補ってあまりあるので、人によっては、
 受容することで空間フレームを作る(玉堂星、牽牛星の代用)はよくあることです。

 単に空間がないという定義は、抽象的、実感としてとらえにくいところがありましたが、
 意識できる範疇としては、牽牛星的要素(社会性、協調性、役割意識、責任感、自尊心)と
 玉堂星的要素(常識を自然入力、権威への肯定、目上への従順、既存を逸脱しない受容)が
 弱まるまたは欠落する傾向になる。これはすべてではなく、個人的な影響という部分です。
 善悪で論じれば、良い面も悪い面もある、ということになります。

 天中殺の個人を超えた影響では、隠れていたものが浮上、新しく始めたものがうまくいかない。
 この2点ですかね。後者は、星の欠落で説明できる部分もあるかもしれません。
 ふと思いついて書いただけで、まだ未検証ですが、天中殺体験記のいまのところの感想です。

 40・癸卯 癸卯--乙 天貴星
 これまで、癸卯は、「地支の草(乙)に水(癸)をやる」という観点から、
 優しくいい人で、家族に尽くすというように解釈していました。
 卯を象形、語源からとらえると、どうもそう簡単ではなく思えてきました。
 語源的には、「卯(ぼう)は冒(ぼう)なり。万物地を冒して生ず。開門の形に象る。
 故に、二月(旧暦)を天門と為す」とあって、草ぼうぼうの状態を示しているようです。

 門の中からみると、ごちゃごちゃと草が繁りすぎて、門を押し開けて、葉が外に出る。
 そこからウサギが飛び出してくる、というもっともらしい説もあるくらいです。
 僕は、まさに開かんとする蕾をイメージしていました。象形としても悪くないと思うのですが
 いろいろ探したのですが、該当する説はなく、これは諦めました。

 何を言いたいかというと、草燃える卯にはこれ以上水をやる必要はないということです。
 辰巳グループとして、草に水をやるでは、自然につながりすぎて、段差ができません。
 とるすと、水をやる行為はプラスにはならない。癸→乙は鳳閣星(観察力)がよさそうです。
 ごちゃごちゃと繁茂している状態を観察して、どこをどうしたら風通しが良くなるのかを考える。
 「癸」は筋道を立てる、プログラムするという意味があって、
 自分に眼前する現実がどうすればスムーズに流れるかを、思索します。
 あくまでも、既存の環境が前提で、自分が前に出る力は持っていません。
 「自分自らで前進すると苦難多く、時の流れの中で他力によって進むことがよい。」

 生家でも組織でも、単に花に水をやるような立場になってしまうと自己発揮はできません。
 穏やかに生きてもどこかでひっくり返るような波乱があり、そこから、平坦な道を歩む、
 という運気をもっています。お人好しで、従順なのですが、人生の波は荒くなります。
 「転身下手で時に環境の犠牲となる恐れを持っている。
  理性よりも情性で動き、肉親の情を断ち切れない。 」

 天貴星は、少年、少女の時代で、自己形成される時で、自意識が目覚めてきます。
 どちらかといえば、まだ、子供の範疇ですから、現実を自分で動かす力は弱く、
 環境の影響は受けます。目上、年長者からの庇護を必要として、従順な心を持っています。
 成長期には努力すればするほど、その方向へと成長が加速します。
 人生に目的を持って、努力することが何よりも大切なことです。
 「人生の目的を早めに設定しないと、エネルギーの発揮時期を失うことになる。」

 入れ物に従う水(癸)になってしまうと、環境の影響が大きすぎて、脱出が難しくなり、
 かといって、自努力だけで道を開いていけるほど強くもなく、という難しさがあるので、
 技芸を持ってそれを目的にして、生きて行くタイプを多く見受けます。
 
 有名人には歌手が多いです。そのためもあって、共通個性を見つけにくいです。
 環境で、人間性も人生もかなり変わるので、特徴がつかみにくい干支の一つです。





 5/10(木)
 
 急激な温度変化に弱くて、風邪をひきそうでした。昨日は、薬を飲んだのですが、
 薬というよりも眠剤ではないかと思えるほど、強い眠気に襲われました。
 昨日は、89歳おばあちゃん宅訪問日。51番、干合+害で、面倒見の良い、いい人です。
 20年前に他界されたご主人は、青龍家、生前の両親が大変お世話になりました。
 きっかけはなんだったか・・・もう、20年近く、年に数回お訪ねすることになっています。
 今では、唯一のボーイフレンドという称号を頂き、
 良きお茶飲み友達として、お付き合いさせていただいています。

 昨年末(天中殺月)から、親族に問題が続いて、心の休まる時がなかったそうです。
 身内の話は身内にし難く、思いのたけをすべて吐き出していただきました(南干調舒星)。
 次の日に忘れる僕は、丁度よい吐き出し口のようです。
 このお話は緊張感を持って聞けたのですが、薬が効いてきて、その後の雑談では、急に睡魔が。
 膝をつねったり、眠気と戦っていました(ーー;) 半分くらいはぼーっとしてましたね。
 なんとかしようと、「久々にエレクトーンを聞きたいですね」といって、別室へ。
 そこでなんとか復活しました(^^) 89歳ですが、いまだにエレクトーンを習っていて、
 難しい和音のムーンリバーと、えーーと・・・あれ? しっかりインプットしたのに・・・
 ト、、、トロットサンダー・・・は大昔の競走馬の名前だ f^_^; ちゃんと覚えたのに・・・
 なんとかかんとかという速い曲を見事に演奏してくれました!

 今週はお出かけ週間で、今日も、最近近隣に転居された塾生さんとお茶会でした(*^ 。^*)
 出かけるほうが体調はいいのですが、、、天中殺思考混乱はいまだ回復せず(;´Д`) うぅっ。。

 
 ニーチェさんの結婚に関する言葉。勘違いの父と必要の母という対比は陰陽論的でもあります。
 算命学でも父は精神干(天干の陽干)は母は現実干(地支の陰干)と定められています。
 見合いの場合は、父も必要、母も必要というケースが多いのか、父が不在で母だけ、ってことか。
 気持が入る結婚(恋愛結婚)では、その気持ちは、錯覚や思い込みってことのようです。
 ニーチェさんの周囲の結婚がこんなだったのでしょうかね。
 
 公園で、老年のご夫婦を見ていると、皆さん仲良さそうです。
 会話はわかりませんが、いつも見るご夫婦は、奥さんがよくしゃべり、ご主人は聞き役。
 このニーチェさんのお言葉は、もっとものような気がします。
 年を取って、この相手とラジオ体操行けるかな? でもいいと思います。
 とにかく、今ではなくて、10年先、20年先の二人をイメージして、今を決めるのが肝要。
 具体的には、肉欲を排し経済を考えず、その上で、二人でいることの必然性をみいだせるか。
 つまり、肉欲と経済と、あとは、孤独が嫌とか、そのあたりが必要性と言うことで、
 それを取り払っても会話を続けられるか、会話をしたいと思えるものがあるか、でしょう。

 そのほかのことは「年月がたてばいずれ変化すること」だろうと思います。
 「夫婦生活とは長い会話である」とは良い言葉ですね。
 ただ、ニーチェさんかなりの皮肉屋ですから、額面通りに受け取ると、
 後でひっくり返されることもあります。これは、大丈夫かな。

 39・壬寅 壬寅戊丙甲 天胡星
 寅は、本元に若芽(甲)があって、それが成長し(丙)最大繁茂(戊)に至るプロセスです。
 12支の中でも、矛盾なく、陽気に満ちて、ホップステップジャンプの躍進があります。
 本元甲はどんな環境でも根を伸ばし、成長に必要なものを吸収します。
 春の始めの成長力が特徴ですが、全部陽干で現実から精神を作りそれを現実へと展開します。
 「現実的な立場に立脚しながらも、精神世界への興味も豊か」

 一方で、壬は最終工程。中央の「-」は長い陽気を表し、陰気の中で陽を孕む姿です。
 ただ、水質は強く、頭の中での思考が得意。武将の参謀に向く知略戦略を持っています。

 壬寅は陰気な精神と陽気な現実の組み合わせですが、寅の前進力は精神への影響が大きい。
 「表面はのんびりと見えるが内面はアクティブ、直感力が鋭く、夢を追いかけて生きる。」
 勢いのある寅現実と、陰気の中陽気を孕んで次世代の種の元を作る壬とのギャップ、
 これを埋めるのが天胡星エネルギーです。干支とエネルギーはそのように解釈したいです。

 天胡星は肉体(現実)はベッドで横たわり身動きが出来ない状態です。
 現実の気が衰退して、無形の気である精神世界の気のみが残されている状態です。
 ここで動く寅は、現実を動かす寅にはなり難く、精神の世界で三段跳びをします。
 「技術、芸術の世界にあって創意工夫にすぐれる。開拓者的な要素をもつ」
 既存の世界(現実)に素のままで適応して、力を出すことはできません。
 何かに化けるか、精神を動かすか、創造したものが動くか、どれかでしょう。

 「有形の世界における終末」がキーワードです。
 壬寅には、そこから飛翔する精神があります。
 役者には最適。自分の現実は終わっていて、役の現実が飛び出して行きます。

 

 役者さんを見たときに、私生活(地)を感じさせない人が壬寅の良さだろうと思います。
 作家なら、村上春樹さんの「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が、壬寅の世界。
 寛斎さんのぶっ飛んだデザインや色彩もまた、壬寅です。





 5/9(水)
 
 気がついたのですが、説明が一段落した今、僕の運勢を乗せている意味はないですね。
 近々、誰でも共通の運勢(安倍晴明!)に切り替えたいと思います。
 これは、当たり外れは未検証なので、古代の人がこういうのを見ていたという参考として。

 きのうの続きです。
 ニーチェさんは未婚でした。でも、生涯に二度、好きになった人がいたようです。
 ひとりはルー・ザロメ。「ルー・ザロメは「世紀の魔性の女」という異名をもつほどモテる女性」
 という人のようです。詩人・リルケと不倫関係にあったようで、フロイトの弟子でもあります。
 ニーチェさんはザロメにはご執心で、二度プロポーズして、二度ともふられました。
 もう一人は、音楽家ワーグナーの妻、コージマ(コジマ)さん。
 これは、恋人関係ではなく、ニーチェさんの横恋慕だったようです。
 「私が自分と同等の人間であると認めている唯一の場合が存在する。
 私はそれを深い感謝の念を籠めて告白する。コージマ・ワーグナー夫人は比類ないまでに
 最高の高貴な天性の持ち主である。」 ニーチェさんはワーグナーに心酔していました。

 
 コージマ・ワーグナー夫人

 夫ワーグナーは、音楽家としての才能はともかく、性格はかなり悪かったようです。
 俺様で、女好きで、好き勝手に生きた人のようで、ニーチェさんが憧れるタイプですね。

 

 金性に囲まれて調舒星がそれを激剋する形です。心は完全に砕かれています。
 子供時代は自分で感情を作れないので、生家環境の影響が大きかったでしょう。
 だいたい親や先生の言うことはよく聞く人になります。お父さんは牧師&教師で、
 ニーチェさんも子供時代は父の影響を受けて、まじめな青年だったようです。

 中殺の戌が辰を激剋、強い自我で外を激剋する形は、激稼働か空洞化の両極端。
 星では、不安定さは車騎星+調舒星が一番です。内側にプライド、外に攻撃性がでます。
 戊辰の天南星は、内心に純粋さ潔癖主義があって、それが調舒星と金性の葛藤になると
 相当激しい精神状態を作ります。それで月殺、左右対冲となると、安定した心は無理。
 潜在躁うつ病を抱えながら生きているに等しいでしょう。

 心無い中殺は、美しいものや心地よいものに集中します。
 それが彼にとっては、ワーグナーの音楽であり、ザロメさんであり、コージマさんであり、
 葛藤から生まれる創造力が「超人」を生んだように思います。

 それで、好きな人ができると、「癸」に入ります。自分が一緒に生活できれば
 地支の戊は自分ですが、結婚か同棲ではないとそれは難しい。かなり執着します。
 ワーグナーの奥様との恋においては、愛する人(癸)のそばに夫(戊・ワーグナー)がいて、
 日干の自分とワーグナーと、三様の関係が成立します。自分は精神的愛、現実はワーグナー。
 それがどんなに奇異なものでも、宿命の風景と合っていると、本人はそれが自然です。

 ただ、この宿命でニーチェさんが誰かと結婚したとすると、
 自分と一緒にいない時の妻(年支の癸)は、外で別の男と一緒(年支の戊)に思えて、
 非常に嫉妬深くなります。あるいは、自分が外で別の女を愛することも可能です。
 ニーチェさんはまじめな人でしょうから、結婚しなくてよかったのかもしれません。

 魔性の女ザロメさんは、ニーチェさんに、彼の友人との三人同棲を提案したようです。
 しばらくは、そうした変則関係で、一緒に暮らしていた時期があったと書かれていました。
 それが本当だとしても、この宿命なら、可能なことで、それでも一緒にいたかったザロメさん、
 

 こんな人です。左のウエストのくびれは、、、、当時にも修正技術があったのですかね^^
 右は、後に彼女が結婚した夫との写真。左の写真を見る限り、魔性かもですね・・・

 38・辛丑 
丑癸己 天印星
 冷たい冬の大地の中に潜む、陰性の金。宝石だとしても冷たい輝きになります。
 でも、そこに愛されるべき天然の笑みを天印星が加えます。天印星を陽転させることが大事。
 禁ずる金とすれば、辛にも闘争心は含まれていて、動きの少ない冬の大地にあって、
 そこを抜け出ようとする意欲と闘争心は、大きなものがあります。
 「内面に秘めている闘争心は大きいが、決して短気ではない。それでも相当な頑固さがある」

 丑は、動きの少ない己が本元にあって、地支自体は大きな動き方をしません。
 忍耐とか従順の意味が強くて、自分から波乱を起こすようなことはないでしょう。
 環境もできるだけ平和であるほうが能力を活かしやすくなります。

 辛は陰気は強いもののバランスはよく、天性の美意識があります。
 彫り物の針に例えられるように、鋭角的な繊細さと強さを併せ持っていて、
 鋭く状況を判断して物事に対処する的確さがあります。

 鋭角的と言われる気質は、何かへのこだわりを生みます。
 こだわれるものに出会ってこそ、本領発揮の道が見えてきます。
 「 思いこむと途中で簡単には変身できない。独断と無理押しの傾向も持つ。」
 また、そのこだわりは 、針(小刀)をして、内にも外にも時に傷を作ることがあり、
 内には、傷つきやすい人を作ります。

 己(龍高星)→辛(貫索星)→癸(鳳閣星)という流れは、冬の水に集約される形です。
 「性格には「静」なる部分があるので、人生全体は地味。」となります。
 金性の鳳閣星は、単純な穏やかさにはなりません。
 自分が努力して鳳閣星的世界を作ります。表面は柔和でも、内面は激しさがあります。
 簡単に、みんなと協調して仲良くというわけには行きません。

 間に入る貫索星次第ですが、己の龍高星は龍高星の持つ放浪性を抑制して
 忍耐力や探求心に変えます。自分の考えに対する固執は倍加して、安直な妥協はしません。
 バランスが崩れると、後先を考えない激しい行動力が突出することがあります。

 それらを抑制するのが天印星。現実を甘受することが本性。環境に従う中で
 自分の思いとは無関係に、人に影響を与えます。ただ、この自分循環は、客観性が高く、
 マイペースでも、わがままな赤ん坊にはなりません。明るさと適度な社交性を発揮しながら、
 現状を測る眼力は鋭く、周囲の大人よりも「よくわかっている赤ん坊」なのです。

 

 内の闘争心が表に出るタイプと、内に潜むタイプと分かれそうですね。
 自分流の美学はどの人にもありそうです。魅力的な個性派、という印象です。





 5/8(火)
 
 僕はコンピューターでも本でも自分が必要なところだけを切り取ります。
 記憶容量がかなり狭いので、横に広がりません。ネットも、毎日使っていますが、
 ホームページと検索くらいで、wifiがどうたらとか、まったくわかりません。
 自分が使わないことに関しては、知識もないし、やってみようとも思いません。

 ニーチェも、語録や本は読みましたが、伝記的なことには関心がなかったし、
 昔は、それを知ろうと思ったら、本を買って読まなければなりませんでした。
 今は、数分で情報が手に入ります。ただ、正誤はなんともいえませんが、一応信じてみます。

 宿命を見ていて、あれ?ニーチェさんは結婚してたのかなとふと思いました。
 配偶者は座下に居て、執着形なので、いてもおかしくはないのですが・・・
 
 とにかく、宿命に「辰」をみたら、戊癸干合が何に当たるのかをいろいろな角度から見ます。
 辰のある番号は、5、17、29、41、53 これは日番号とは限らず、どこにあっても注目!
 ニーチェさんは星なら貫索星+司禄星。自分の日常へのこだわり。自分に正直な日常を作ります。
 人物だと、癸は配偶者(恋人)です。戊が両方自分なら、好きになった人に執着します。
 身も心もというやつです。いつも一緒にいたくなります。

 戊には自分と同質のものということで、兄弟を入れることもできます。
 すると、癸は兄弟の配偶者。結婚する前は癸(司禄星・日常)を共有することになるので、
 とても仲良しの兄弟になる可能性があります。結婚すると、癸は義理の兄弟です。
 ニーチェさんは長男だったようで、弟と妹がいました。
 「1850年には2歳の弟ヨーゼフが歯が原因とされる、けいれんによって病死。」とあります。
 妹さんとは「幼年時代から仲睦まじく、友好関係は成人後もしばらく続いた。
 しかし、妹が狂信的な反ユダヤ主義煽動家と結婚してからは、疎遠になった」とあります。

 wikiでニーチェの概略を知る前に、「頭の良いヒットラー」みたいだと思ってました。
 記事によると、妹→夫→ヒットラーとつながりができて、ヒットラーはニーチェの考えを
 自分の理論的背景に利用したようだと書かれていました。ニーチェが妹にあてた手紙には、
 「お前が反ユダヤ主義者と結婚したおかげで、今や俺はこっちまで反ユダヤ主義の
 ゴロツキどもと混同される危険と戦わねばならなくなった。『ツァラトゥストラ』が
 反ユダヤ主義者どもによって手前勝手に利用されているのを見ると、ぶち切れそうになる。」
 と書かれていて、この時点で、妹とは絶縁しています。

 
 これは、外の辰(社会の辰)で考えたほうがいいでしょう。戊妹・癸義弟。
 すると、納音で癸(義弟)が丁(玉堂星・自分の思考)を激剋する形となって、
 まさに、この間の事情と一致します。問題は戊の妹が不安定になると、
 底辺で自分を保っている一列の「戊」が揺れてしまい、精神の均衡を保てなくなることです。
 結局、妹を切り捨てて、自分を入れる。ますます頑固な自我になります。
 妹に関してはとても仲が良いか、離れるか、極端な関係になることが予測されます。
 日干が戊で、辰の支がどこかにある人は、兄弟仲がいい場合、義理の兄弟との関係は大事です。

 さて、この戊にはもう一つ、妻の夫という意味があって、それが自分ならいいのですが・・・
 長くなるので、続きはまた明日にします。

 37・庚子 庚子--癸 天極星
 庚は成長を止める(禁止する)と更新する(新しくする)の二つの意味があります。
 陰転の方向へ導く(曲がり角を作る)役割で、「新しい」「禁ずる」がキーワードです。
 癸は諸説あるのですが10干の最後として、種つくりの役割です。まとめて次へ。

 子は地支本元が流れる水(癸)で、しっかりと自分を支える支としては極めて不安定です。
 1、13、25、37、49 それゆえに、日干は嫌でも強さを身につけなければなりません。
 潜在的な不安心理が自分を強くします。あまり複雑な思考にはならず、わかりやすさはあります。
 ただ、子は、終り(結果、現象、現実)をまとめ、次世代の答えを作る役割があるので、
 そのわかりやすさは、頭の回転の速さと、直観的な判断力の鋭さとなり、
 どの番号も、明晰さと創造力を生まれ持っています。これはかなりのスグレ者を生みます。
 37番も、「頭脳は明晰。知的な合理性を持ち数理的な思考力を所有している」です。

 庚子は、強い禁止作用と革新の気を持った「庚」が、地支へと向かいます。
 気持ちがストレートに外に出るので、怖い人になるのですが、エネルギーは死人の天極星。
 毎回言いますが、エネルギーは、その干支がどうあるべきかをよく語っています。

 庚で調舒星1気だけを考えると、厳しい物言い、口うるさい人、などがイメージされます。
 天極星は自力で現実を作れないので、それが現実との協調性を生みます。
 調舒星の情的な部分が現実では表に出ます。「世渡りでは人情が顔を出し、温かい心の持ち主。
 理性と情性の谷間にて、自己の本質を見失いやすい。」

 強くても、どこか自信なげで、既存との接点を模索しています。
 「 心配性で取り越し苦労が多く、生活もどこか落ち着かない。」

 金性の調舒星は反応が早いことが特徴です。感じる→行動する(発言する)が早い。
 自分に正直なので、言動には行き過ぎがつきものです。
 天極星は抑止力はありません。より感じる力を強めるだけです。
 環境への本能的な適応力が強いので、感情表出は瞬間的なことが多く、
 自分はあまり尾を引きません。周囲はわかりませんが・・・

 
 頭が良くて、しっかりした自分を持っていて、判断が早い、というのが共通項ですね。





 5/7(月)
 
 連休中は車が少なくて、街自体ものんびりしている感じがありました。
 穏やかな五月の陽射しの中を歩くと、空間が変化していることを感じます。
 Aが変わればBが変わる。変化は確かに少しのことでもがらりと変わることがあります。

 きのうイベントで、同じテーブルだった女性が、自己啓発系の方だったようで、
 もう一人、仕事場が合わなくて悩んでいるという女性に
 「自分が変われば世界が変わるのよ」みたいなことを言っていました。
 みんな初対面で、食事をする短い時間に、さりげなく話題をリードして行く人に
 感心していたのですが、悩んでいる若いお嬢さんがとても良い方に見えたので、
 横やりを入れて、話の流れを変えました。性格が悪い(笑)
 話題をリードしていた女性に「どんなお仕事をされているんですか?」と聞かれ、
 うつむきながらぼそぼそと「あまり人様に言えるような仕事ではないんですよ(*^-^)ニコ 」

 「自分が変われば世界が変わる」ことはその通りだと思います。
 でもそれは、連休中の町の様子のように、何日かするとまた、元の日常にもどったりもします。
 どんなことにでも、タイミングがあります。
 
 これは極端だとしても、陰極まりて陽転すの言葉通りに、
 陽転のタイミングは、苦難の頂点に潜んでいるものです。

 大事なことは、続けることです。どんなことでも、続くことが適正のものさしになります。
 自分に合っていない変化は続けることができない。
 分岐点はありますよね。努力がたりないのか不適正なのか? 
 頑張りすぎて自分を捻じ曲げることもあります。そして壁を越えたと思ったら、
 いつの間にか、ねじ曲がった自分になっていたりもあるでしょう。

 それを映す鏡は日常の現実しかありません。現実が正しい。
 でも、現実って、生のままの姿では存在しなくて、結局は、それを見る人が作ります。
 自分の色眼鏡で観た現実を、現実が正しいと受け入れるとしたら、
 歪んだ鏡で映った自分を肯定することと同じになってしまいます。

 

 鋭いニーチェさんの、おそらく、おっしゃる通りなのでしょう。
 でも、そうなると人の数だけ事実が存在することになり、それはもはや事実とも言えない。
 そこで、占いの登場です(笑) 占いがなんらかの客観的なものさしになれればと思います。
 そのためには、占者の解釈が、占いの真実に近づかなくてはなりません。
 占いの真実が一枚岩ではなかったとしても、その限界内で、近づかなくてはならない。
 それがいかに大変なことか、天中殺は教えてくれています(ノ_-;)ハア…

 そうそう、ニーチェさんの宿命は、相当強烈です。
 
 170年以上も前の話ですから、当てにはなりませんが、宿命を見る限り、納得ですよね。
 強烈! 超、心無い人で、日座と日居中殺の納音は、「超人」を作るかもしれません。
 天干の甲は、神様に見放された、じゃなかった、神様のいない甲戌の甲と
 現実を考慮せず、神様の正しさだけをインプットされた甲辰の甲と
 このふたつが手を結び、無限大の闘争心(車騎星+中殺)を生みます。
 そして現実は、日居中殺で形骸化した神的現実の辰と日座であまりにも現実的な戌と
 この二つが激突して、これは秋(戌人間現実)が春(辰神様現実)を打ち負かします。
 余りにも(超)現実的な人間の現実が闘争心W甲に組み込まれて自分を激剋する。
 「神は死んで」、戊辰が「超人」になる仕組みです。

 36・己亥 己亥-甲壬 天報星
 己と乙は似ています。屈曲感があるのですが乙は柔軟性を感じますが、
 己はがちっとした印象で、固い。下一桁6番は自然に頑固。
 「己は紀なり」と言われ、「紀」が語源という解釈が一般的です。
 紀は*のり。きまり。すじみち。「紀綱」「軍紀」「風紀」と辞書にあります。
 戊で繁茂した状態を整えて、陰転への筋道を立てる役割です。
 己は、自己の己で、自分の意でもあって、本性的に自意識が強く、自分が正しい人です。
 筋道を立てる役割があるので、バランス感覚があって、器用な人が多いように思います。

 亥は、12支の最後の支。始まり(甲)と終わり(壬)を含んでいます。
 語源は「核」。陰気の中に次世代の芽生えの陽気があって、それが表にでるので、
 外面明、内面暗。終わりをまとめる支ではなく、むしろ新しい始まりを作る人。
 一陽来復を願う支といわれるように、苦難にあっても明るいその先を目指します。
 やや楽観的な資質を持った亥が、強い自我を持った己と重なって天報星エネルギーで動きます。
 頂点から陰転に向かう己と現実の終わりからスタートに向かう亥と、距離が離れすぎていて
 天報星はバランス感覚を保てなくて、常に、不安定に揺れ動く現実を生きることになります。
 「自分の中の精神的な理念を現実の形にしようとする気持ちが強く、
  頭脳も心もかなり複雑な構造をもっている。」

 本人は反逆している気はまったくないのですが、自分の本能の声に従って動くと
 結果的に組織をはみ出ます。既存の環境や安定安住の世界では生き難い己亥。
 自分で環境を作るか、揺れ動く環境を選択することが自分を活かす道です。
 「世の中が動いているときのほうが力を発揮しやすい。
  安定平和の中で動くと、結果的に反逆的な行為になってしまう」

 星は牽牛星←司禄星 自分の日常性が役割の中に入り込むので、
 己次第ではスケールが出ません。
 家庭や自分の人生を守るために生きる術を身につけようとすると陰転する己亥。
 不安定な環境の中にいれば、そこで筋を通し行くべき道を見出し、
 動物的本能に近いリーダーシップを発揮して、より良い方向へと
 周囲の人たちを導き出す役割を果たせます。
 成功者は、定住感のない、天才型のタイプになると思います。

 

 異色の才能を持った人たちが並びます。
 安定感はありません。ベッキーさんの不倫騒動はまだ記憶に新しく、
 中島みゆきさんは、結婚歴なしで、銀色さんは二度の離婚歴ありです。
 小林旭さんは、美空ひばりさんと事実婚のあと離婚、
 糸井さんも樋口可南子さんとの不倫で離婚して、樋口さんと結婚。
 ざっとみても、座下に配偶者を持ちながら、持つ故に?
 不安定な生活基盤になってしまいます。





 5/6(日)
 
 今日は、日野市まで、久々のお出かけ。
 何度か登場している、美人姉妹のオーガニックカフェで昼食付のイベント。

 

 

 血圧の関係で、塩そのものを自分で使うことはまったくないのですが、
 大事な塩もあるというお話は、目から鱗、新たに塩を見直す気持ちになりました。

 通常市販されている塩は、はっきりと悪い。減塩の対象になりますが、
 それ以外の良い塩(全体の20%しかない)は積極的にとったほうがいいそうです。
 
 このほかにも特殊製法で作った塩(1k30,000円)などもあって、
 これらを、1%の白湯の塩水にして、試飲させてくれました(*^ 。^*)
 最初に、普通の塩(輸入品を加工)。ああ、塩だなくらいの感じでした。飲みたくない。
 次に、それに、ミネラルを加えて、加工した塩。市販のよりはずっと良いという事でした。
 確かに、味が違うんですよねこれが。なんか、味が加わっているという感じです。
 そして、左の2列が日本の海で、苦労して精製された、国産の塩。
 これは濃い味。塩という感じではなく、海の味、海藻の味、という感じがしました。
 3万円の塩も試飲させてもらったのですが(会場にいる人全員・10数人)、
 日本の塩をすこし滑らかにしたような・・・よくわかりません f^_^;
 でも、味音痴の僕にも、市販の塩と、日本の海の塩と、ぜんぜん違うということはわかりました。

 それで、塩の害は、塩そのものよりも、添加物などに使用されている加工された塩とか
 コンビニ弁当やレトルトに含まれる香料や保存剤などもナトリウムの親戚なので、
 そうした塩分にも気を付ける必要があると言われました。まさに、僕です!

 

 お話の後はオーガニック食材のランチ(*^ 。^*)
 玄米ご飯のおにぎり、豆腐のハンバーグ、サラダ、どれもヘルシーおいしー、でした。

 イベントの後は、もう何度目かの「女子会」があって、これが楽しみ(*^ 。^*)
 女子会と言っても、姉妹以外は全員男子(笑)タフではない20代の若者たちと僕です(^^)

 これもあって、連休は、合間を見て、久しぶりに実践占い鑑定作りに励みました。
 他にも頼まれて連休くらいまでにと引き伸ばしていた占いもあって、
 追い込まれると力を発揮、ではない、追い込まれないとやる気モードにならない性格そのもので
 集中できた充実感がありました。みんな素直で、ピュア―な精神をもった若者たちで
 楽しい「女子会」になりました( ◠‿◠ )

 写真を撮り忘れたのですが、後で、豆腐のアイスクリームと、ケーキ、フルーツ、お米コーヒー
 を頂いたのですが・・・これが、リンゴひとつとっても、素材が全然違う!
 言われなければ、普通のアイスクリームと区別がつかない、豆腐のアイスも最高でした。
 僕が普段食べてるのはいったいなんなのって感じがしました(o^∀^o)
 ただね、良いと分かっていても、経済がそれをさせてくれないっていうのはありますよね。
 当分は、公園体操による、無料健康法で切り抜けようと思います。

 35・
戌辛丁 天庫星
 今年の干支戊戌。地支と本元が同じで、10干の中でも強い干が二つ並びます。
 他では5・戊辰ですが、こちらは天南星で、強さはぴか一ですが、ピュア―な自我で
 戊戌の自我は天庫星で内にこもる分だけ重厚さ(頑固さ)があります。

 戊は概ね二つの意味があります。
 

 象形文字としては、武器(斧とか鉾)みたいな形で描かれています。
 語源では「茂」植物が成長して最大に繁茂している様子です。
 両方合わせると、強くて、大きくて、勢いがある干です。通常は「茂」です。

 戌は概ね「滅びる」から来ているとされていますが、
 

 象形としては、鉞(まさかり)をイメージした、やはり武器という説があります。
 序数では11番目。種として分離された状態で、流れとしては切り離された別枠の現実。
 ”靑“流では、既存現実とは別枠の、人間的な、あまりに人間的な現実を作る支です。
 アウトサイダー辰巳の代表と言ってもいいでしょう。やはり武器的な強さを持ちます。
 戊戌は精神も現実も、既存には納まらない強い干支であることはまちがいありません。
 「既成概念や社会的な地位、貴賎にとらわれない自分独自の価値観を持つ。」

 干支のギャップは、戊は神的な精神を持ち、戌は人間的な現実を持っていることで
 この二つが自我の戊で重なると、ある種独善的な強さを示す危険と、カリスマ的な魅力と
 そのどちらの可能性も出てきます。天庫星なので、能力が加味されれば、カリスマ的です。
 「常に自分の気持ちに忠実にあろうとする部分が時として変人奇人的になる」
 「長たる器を持つ。」「単独行動。何かに熱中すると一徹にそれを追求して行くタイプ。」

 調舒星←剋玉堂星→貫索星 内的葛藤が荒っぽい精神と独自性の強い創造力を生む。
 天庫星は連続性を持たないので、自分の考えへの固執を作ります。
 玉堂星が発達すればするほど、意外性のある創造力が現実から乖離した発想を生みます。
 一歩間違えると、独断専行。間違えなければ、斬新な創造力(芸術)を生むでしょう。

 

 星さん、筒井さんは、SFの世界で、既存離れした創造力を発揮しています。
 他の人たちも、独自の存在感を示して、アウトサイダーを魅力にしています。





 5/5(土)
 
 五月に入ってから、引きこもりが続いています。
 自我薄(日干が陰陽とも他のどこにもない)ということは、
 宿命の中に、自分もしくは自分と同等の人物がいないということで、
 宿命的には、一人が普通です。ただ、親や配偶者などの親族は設定されていることもあります。
 僕の場合は自然和合する親族もなく、距離を持った関係が普通です。

 干支占技の中では、孤独という言葉はたくさん出てきますが、
 その中で、孤独のほうが良いというニュアンスの干支を探してみました。

 11・甲戌 孤独な状況のほうがより完全なエネルギーの発揮ができる。単独行動向き。
 19・壬午 単独行動を好み集団に位置することが少ない。孤独傾向。孤独の成功者。
 28・辛卯 孤独運で集団の中にいると奉仕的な人生。孤になって本来のエネルギーが燃焼。
 29・壬辰 孤独の人生は高い心の次元になる。
 36・己亥 孤独の中にあってこそ最大のエネルギーの発揮ができる。
 42・乙巳 本質的に孤独運を持っている。自力で人生を構築していく。
 54・丁巳 心の中は寂たるものがあり、孤独を好む真情を持つ。

 28、29番以外は、異常干支(日居中殺も含む)ですね。
 はっきりと孤独運があって、孤独の方がエネルギーの発揮ができるというのは、
 11、36、42、ですかね。
 19は午ですから、孤独はつらいところもあります。好きで孤独になるわけではない感じ。
 28は、どちらでも生きられますが、本質は孤独です。
 29は、特に孤独が必要ということではないです。
 54は、本質的な孤独感で、これも、孤独が良いということではないでしょう。
 36と42には、座下に配偶者の気があるので、結婚が救いになることはあります。
 ただ、それも相手次第では、孤独を深めることになります。
 無条件は、11? 

 孤独は必ずしも一人とは限りません。
 

 引きこもっていると、刺激がないせいか、物忘れもひどくなるような気がします。
 そういえば、ニーチェ語録に、物忘れの利点があったような・・・
 
 
 !! まさに、僕のためにあるような、お言葉です(*^ 。^*)

 干支の語源解釈は、腹立たしくなるくらいにさまざまあって、迷いだすとキリがありません。
 共通したものをまとめようとすると、ネットの多数決的誤謬に陥りそうな気がして、
 かといって、自分の考えに近いものを選択しようとすると、我田引水の不安に襲われ、
 結局、〇〇氏の解釈、というように、誰か一人を信じて、統一するしかないようです。
 実のところまだ決めかねているのですが、ここまで迷ったらとことん迷ってみます。
 なにしろ、天中殺ですから(笑)

 34・丁酉 丁酉--辛 天貴星
 丁には二つの説があって、一つは、枝葉が横に大きく広がっている様子です。
 序数四番目としては妥当性があります。
 もう一つは、停止の丁という説。ここで勢いが止まるという語源解釈。
 字源では、「-」横棒が陽気、「|」が陰気となって、陰陽拮抗で停止が理に思えます。
 両方を合わせると、春の終わりのイメージ。成長盛んなところで止まった状態。
 丁の人(下一桁4)には、よく言えば、勢いの中にバランス感覚があり、
 よく言わなければ、能動的な中にも硬直感や迷いが漂っている感じがします。
 語源解釈には算命学の干支占技では見いだせない傾向の答えがあることがあります。
 案外動けない動かない丁、陰陽拮抗の意味通り、みたいな感じでしょうか。
 と思えば、「-」陽気に偏って、思い切りが良すぎる行動力となったり、
 と思えば、「|」陰気に偏って、引きこもるような孤独感に落ち込んだり。
 シンプルなだけに、程よい「丁」で生きることが難しい「気」のように思えます。

 酉の語源もいろいろあるのですが、酒を発酵させる器という説が有力です。
 植物生成で言えば、次世代の種つくりの段階。辛には新しくするという意味があります。
 丁酉は優れたバランス感覚で次世代に有効な種の元を作る働きをします。
 「辛」は、切れ味の鋭い小刀という意味もあって、頭の回転の速さは群を抜いています。
 これは日干辛でも酉でも、同様です。酉の場合は、現実的な頭の良さです。
 また、加工する器用さ、技芸の才を持つのも辛の特徴です。

 座下は禄存星一つ。空の辛。自分の思いで人生を作ることはできません。
 「現状を的確に把握する能力が高く、目の前の苦難に対する対処も見事にやってのける。」
 必要なのは自分の意欲ではなく、「現状」であり「苦難に対する対処」です。
 臨機応変の対応力と、頭の回転の速さと、現象への抜群の理解力があります。

 丁の禄存星は、極端に偏る傾向を持ちます。動く時は全陽で愛情奉仕に傾きます。
 「一途にものを思いこみ、他人を巻き込もうとするところがある。
  相手が自分の思い通りにいかないと気が済まない。」
 ただ、引くのも早い。ここにも陰陽両極端が現れます。
 「繊細な神経を持っていてしかも度胸が良い。恐いもの知らずで無鉄砲、
  人と争い事もおこすが基本的には人情家。」

 天貴星は、「精神と現実が目覚める気を表す星」と定義されています。
 少年少女の自意識です。過剰な自意識が自分を高める向上心とプライドになります。
 目的を持つと、大変努力家になり、なんとしても目的を達成する前進力を発揮します。
 素直で純粋な心を持ち、対面を保つことを気にする、努力家です。

 座下を激剋しながらも、現実生活を保てるのは、まじめに自分を保とうとする純粋さです。
 ただ、その自分が不安定ゆえに、型にはまった生き方ができないところに難しさがあります。
 「自由人的な気質があり、ひとつの枠の中に入ることを嫌う。」

 

 枠にはまらない自由人というのは、どの人にもあてはまりそうです。
 こうしてみると、才能もさることながら、人間的な魅力が能力を象徴していますね。
 私生活は、丁酉らしいと思える人が多いことも確かです。





 5/4(金)
 
 天中殺90日目。約三カ月。もう・・・という気持ちと、まだ・・・という思いと、
 どちらかというと、まだ、ですね。ずいぶん天中殺を生きてきたような気もしますが
 まだ三カ月。気分は天中殺真っ盛り(o^∀^o) いやいや、こんな顔ではないですね。

 24年前は天中殺を知りませんでした。12年前は、定番解釈しかできてませんでした。
 ひどい目に合わなければいい、くらいの感覚で、バイトの面接を受けたり、実験もしました。
 それでも、引っ越しは天中殺を避けて前年にしたり、用心はしていました。
 今なら天中殺引っ越しの実験をする気も満々ですから、都営住宅当てたいですね。

 その意味では、天中殺を理論的に少しはわかってきて、初めての天中殺です。
 12年というサイクルは、かなり長いですね。まったく違う人生になっていることもあります。
 ここまで、体感的には、迷走しています。試行錯誤の連続で、予定はことごとく狂っています。
 でも、自分としては良い悪いはないです。「思考」という意味では、天中殺は非常に有効です。
 「日常」という意味では、レールを逸脱していることは確かですね。
 ただ、善悪ではない。普通ならできない経験をしている、という感じはあります。

 ネットでニーチェを調べたら、語録だけでもたくさんありました。
 ほんとうに、すごい世の中になりました。僕らの若い時代には考えられないことでした。
 知りたければ、本を読むしかなかったし、自分で調べるしかなかったです。
 これも便利だから良い、大変だったから良くない、では、ないですよね。
 でも、これだけ日常が変われば、出来上がる人間も昔とは違ってくるはずです。
 世界の実態は変化すること、というのは、とてもよく実感できます。

 
 僕らの時代は、自分の脚を使うことは、比較的当たり前だったように思います。
 僕も、これは意識していました。自分でできないことはなるべくやろうと思わないようにします。
 それでも、人から助けられることは多々あって、自力へのこだわりは、感謝の気持ちを強めます。
 
 昔の自分。だれでも、思い出したくないことってありますよね。。。。。
 思い出したくないのは、自分の弱さですね。
 最もニーチェらしい言葉で、最も胸に刺さった言葉です。
 算命学を知ってからは、自我が一つしかなくて、全客観で、戌亥の自我薄、と
 現実力のなさが、弱さの元であったと理解できますが、若い時は、持て余す弱さでした。
 占いで「自我薄」という言葉は算命学にはないと思います。
 僕が自分を鑑定して思いついた言葉です(笑) 自我は本来強弱で表すのでしょうが
 「弱」という言葉に本能的に自己嫌悪があったので、「薄」のほうがなじめました。
 僕の人生は、ずっと「弱さ」との戦いでした。あ、終わってないから、戦いです(^^)v

 33・丙申 丙申戊壬庚 天胡星
 直訳すれば初秋と太陽。申は陰行程の庚壬と陽の最後の戊。丙の明るい前進力とは矛盾です。
 初秋の太陽と言えば、収まり形ですが、日干と現実は自然には一致しないものです。
 「はなやかな世界を好み、常に自分を表面に押し出す性格で、内面は孤独感が漂う。」
 華やかは日干丙で孤独感は申とのギャップです。ただ、丙は自己アピールの本性はありますが、
 はなやかな世界とか、常に自分を表面に押し出す性格とかいうほどの自己顕示ではないです。
 内面はともかく、丙申のイメージは、初秋の太陽に近いです。孤独感は強いでしょう。

 「申年生まれは、金性の質である攻撃本能が陽のかたちで出やすい」となっています。
 未熟な間は、攻撃的性格がでるのですが、丙の明るさと調和すると、前進力や向上心になります。
 申の人(9、21、33、45、57)は、向上心が強く、努力できる人が多いです。

 星は、鳳閣星剋→車騎星←禄存星 空ボックス(禄存星車騎星)二つの地支は
 概ね、環境の影響が大きく、安定した人生を自分で作ることは難しいです。
 我欲は薄く、品性のようなものが表出します。基本的に外に微笑む星たちなので、
 身内に厳しくなる傾向はあると思います。生家や婚家では、葛藤が大きくなります。

 空ボックス二つに、直観の天胡星、これに秋の太陽をイメージすると、現実力は弱く
 自分の力でまとまりのある生活環境を作ることは難しいでしょう。
 何か突出した芸術性や想像力、創作力が能力としてクローズアップされます。
 「無から何かを作り出す能力がある。」「独特の発想を持ち、それが人生にも反映する」
 こうした能力を活かせるかどうかでしょう。

 天胡星エネルギーは、肉体の実態はありながら、精神だけが飛翔する難しさがあり、
 陰転すると、気が内向して、ものごとへの固執や、自意識過剰傾向を生みます。
 現象として、わかりやすい現実欲(ブランド、お金、欲望充足)が強まったら注意です。

 

 考え方としては、禄存星車騎星が強くなると、型破りな強さが出て、
 車騎星鳳閣星が強くなると、安定感と上品さのようなものが出ます。
 創造力や直観的な才能は共通してすぐれたものがあります。
 有働さんが、両方をバランスよく持っている感じですかね。
 どの人も両面あって、時に、規格外の言動がでますが、それが魅力になれば理想的です。





 5/3(木)
 
 朝は雨で体操に行けなかったので、昼食後、ウォーキングに公園へ。
 好天で、さぞかし家族連れでにぎわっているだろうと思ったのですが、朝の1/4くらいの人。
 それでも、何組かは家族連れで、芝生でボールを蹴ったり、池で魚取りを楽しんでいました。
 「パパ―」と呼ぶ元気な子供の声が気持ちよくて、ふと思い出した言葉。

 
 これですよね♪

 言葉と言えば、きのう、ニーチェの言葉を書いて、高校の頃の自分を思い出しました。
 よくあることですが、思春期の「人生とは何か」「人は何のために生きるのか」という悩み。
 友人の死から、そんな悩みに襲われて、生きることがわからなくなった時でした。
 いろいろな本を読んで、そこに答えを求めていたのですが、そこでニーチェにも出会いました。

 ニーチェがどんな哲学者であるのかは、今も分かりませんが、
 辛辣で、ポジティブで、多分に皮肉屋で、そして見事に明晰なその人生観は、
 頭でっかちになりかけた僕を、まずは生きてみようという気にさせてくれました。
 
 それまでには、親鸞や加藤諦三さんの本にずいぶん影響されていました。
 書かれていることは良くわかるのですが、今一つふっきれませんでした。
 それは、たぶん、親鸞も加藤さんも、自分の苦悩体験の中から生まれた言葉を
 書き連ねていたからでしょう。バックグラウンドに共通項がないために、
 それは、今一つ、決定打にならなかったように思います。
 でも、この二人には、ずいぶん救われましたけどね。

 ニーチェにはそうした背景が感じられなくて、
 はじめから、「俺は真理を知っているよ」みたいな、天才の明晰さがありました。
 で、ニーチェを読むうちに、「生きてみないで何がわかる」という思いがわいてきて、
 人生の答えを探すために、「歩き、走り、登り、踊ることを」学んでみようと思ったのです。
 まぁ、その結果がギャンブル人生だったわけですから f^_^; 
 人生ではなく、僕自身に、根本的な問題があったってことですね(^^)

 32・乙未 
未丁己 天印星
 季節的には春と夏の終わりですが、順位としては正反対に位置します。
 ただ、日干が未の中にもあって、根を持った乙は、強い自我になります。
 それを和らげる天印星エネルギーは干支とエネルギーの調和を感じさせます。

 未は夏の土用、穀物の実る時期です。味という言葉は、その実りを確認するために、
 穀物を口の中にいれて確かめたことからくるとも言われています。口+未。
 よって、未(8、20、32、44、56)は「実りの質」と言われ、
 食べる、触れる、などの実感(食感、体感)を大事にする本能を持っています。
 食通だったり、整体やエステなど、体に関することに関わることがあります。

 また、未は羊にも通じ、群れを大事にする本性があって、家族や仲間など、
 身近な人との関りの中で、人生が展開していくことが多くなります。
 乙未は、その未の中に現実の自分(乙)がいるので、その傾向が強まります。
 「常に足元の現象から人生が出発する。肉親など自己をとりまく者の存在が前進力となる」

 星は、鳳閣星←貫索星剋→禄存星 自分中心になることは否めません。
 マイペースは崩せませんが、表面は穏やかに協調することはできます。
 流行や周りに影響されずに、自分が納得したことを自信を持ってやって行く人です。
 貫索星と禄存星は、星としては正反対の性質を持っています。
 これが天印星で働くことを考えると、いい人と自己保身が気まぐれに表れることもあって
 周囲からは、本意が測りきれない人になると思います。
 空の禄存星には目の前の現実が入り、それに対して自我が発動するので、
 相手の望むもので自分が出来ることをするというサービス精神が生じます。
 個人的な人生では良さがでないので、人の中が生き場です。
 「集団の中で自己の本質を見、孤独の中では自己本来の姿が消える。」

 ただ、無理なことはしないでしょう。環境が嫌なら、自己保身がガードを固めます。
 「無欲の中に精神の安定を得る」ことができると、非常に魅力的な人物になります。
 精神の安定という意味では、スピリチュアルなことに興味を感じる人が多いです。
 「現実的な反面、感性による精神世界への関心が見られる。
  何かを信じるような形で精神界と関わりをもつ。」

 

 こういうタイプという共通項を見つけにくいメンバーです。
 結局「乙」自我の在り方によって、イメージも人生も大きく変わります。





 5/2(水)
 
 きのうは、朝からひどい花粉症の症状でした。
 風邪なのかなと思うほど、部屋にいてもくしゃみも出ておさまりません。
 ますます集中力が鈍って、作業が進まないので、花粉症の薬を飲みました。
 でも、改善されないので、少し時間を空けて、風邪薬も飲みました。
 症状は楽になったのですが・・・午後になったら眠く眠くて、(ノД`)・゜・。
 横になったら、ぐっすり寝てしまい・・・せっかくの三合会局日を役立てませんでした(T_T)
 気持ばかり急いて、前進できない日々が続いています。
 こういう時に、普段なら魔の午未ですが、今日は淡々と受け身で、
 明日は納音と天剋地冲。対冲は合法と考えて、悪い流れが良い方向へ変化する日とします。
 連休返上で!(笑)がんばります。

 韓国ドラマのセリフシリーズ!
 

 これ、今見ている「客主」という商人の物語。
 トップに上り詰めた大客主(左)が、自分の邪魔をしようとしている主人公(右)を
 お金と利権で懐柔しようとしている時のセリフです。

 僕はたぶん、良さがわからない人間だろうと思います。
 もしわかっても、欲しいとは思わないだろうと想像します。
 猫に小判、犬に論語 、豚に真珠 、馬の耳に念仏、兎に祭文・・ ・
 ただ、自分にないものを価値が低いとか、価値がないというのは、ニーチェのいう
 「弱者は強者の価値を否定するところのものを価値にする」に該当して、
 ニーチェに叱られちゃう。高級品に縁がない僕は絹の価値を否定することはできません。

 その上で論じるなら、絹の服=価値がある かどうかは、絹の服が決めるわけではない。
 大客主様が決めるものでもない。でも、時に人は自分の価値が基準値のように錯覚します。
 それは自分にとっての基準値で、それはそれで大事なことではあるのですが、
 ものの価値は、もの自体にはなく、猫や犬や豚や馬が決めるものです。
 猫が労働して、ご褒美にお金をもらっても、猫に小判。うれしくもなんともないでしょう。

 「絹の服は着てみなければ・・・」というのは、大客主様の価値であって、道理ではない。
 ただ、その意味で、お金は、定められた共通の価値であり、お金に価値があるのは
 それが、それぞれ固有の価値に変換できるところです。

 逆流すると、絹の服に価値を置くと、たくさんのお金が必要になるということで、
 結局のところ、お金は定められた社会的価値ではあっても、
 その価値は個人的なものに変換されます。
 そう考えると、お金も含めて、もの自体に価値はないのであって、価値は個々の人が生み、
 自分の人生の価値もまた、その人自身が作り上げていることになります。

 人生は一人ではつくれない。その前提で自分の人生を価値あるものにしたいと思ったら、
 人の価値を理解し、いかに肯定できるか、だろうと思います。
 人はみんな違っていると、誰もがわかっていると思うのですが、
 その違いを本当にわからないと、自分を知ることはできないのだろうと思うのです。
 逆もまた真なり。自分を知ることができる人が、人を知ることもできる。

 31・甲午 甲午-己丁 天極星
 甲は十干のスタート、午は後半のスタート。1甲7午で、6差の正反対の位置にあります。
 これが辰巳グループの特徴です。現実と精神が反対のほうに進みます。アンバランス。
 午未以上に自然の流れをもたないために、アウトサイダーグループと言われます。
 自然体で社会に適合できない、というよりは、自分の自然体が社会の不自然体になります。
 だから、普通に生きててもはみ出ることになります。

 甲は直進する精神です。自分に正直に前にしか進めません。
 午は真夏の激しい気性を持ちながら、陰陽拮抗する分岐点でバランスを保とうとします。
 融通の利かない甲にはコントロールはできません。崩れると左か右か、極端なブレ方をします。
 ただ、それをカバーするのが天極星エネルギー。干支はよくできています。

 天極星は死体のエネルギーです。死体とは肉体(現実)が機能しないことを意味します。
 「現実有形の世界に対し、意識的影響を及ぼすことが無力であることを表している」
 甲午が普通のエネルギーで動けるとすると、周囲にも自分にも多大な混乱をもたらすでしょう。
 自分で現実を動かせない天極星にあってこそ、陰転する現実をコントロールできます。
 「最初から、現実欲を持つと、実らない仕組みになっている。」

 どうしたら良いかというと、環境の中で精神を作るか、思想や芸術などの精神世界から学び
 それを自分の核として保持し、その道を進むことです。それが現実になって行く。
 「自分の精神世界が確立したあとで、現実欲が生まれてくる。」
 「自分の役割を固定して進むことで真のエネルギーの発揮ができる。」

 星は、どちらも主観星。司禄星←調舒星です。
 真夏(午)の陰火(丁)から生まれる調舒星はかなり強烈です。
 愛情と孤独の二極を持って、単独では、相反する感情をどこまでも統御できないまま、
 不安定な精神状態に陥ります。何かよりどころが必要で、それが、精神世界になるか、
 あるいは、「己」の日常性(配偶者)になるか、あるいは、蓄積力になるか。

 調舒星が感知したものをわけもなくため込み続けることもあるでしょう。不安心理が働きます。
 天極星で動く調舒星には理屈が入り込む余地はないので、現実から感知したものを蓄積します。
 行動に頼ると、まとまりのない行動力となってしまうので、己司禄星は必須です。
 己が定まると、自分のエリア内の社会活動にファイトを燃やす方向へと向かいます。
 
 調舒星(個人感情)が現実を作る(司禄星)という意味はあるので、身勝手さと紙一重。
 落合元監督のオレ流、石原元都知事のワンマン性、キョンキョンの堂々不倫宣言、などは
 その好例でしょう。能力がそれを通していくのでしょうが、批判も受けます。
 天極星で動く調舒星が何を感知するかによりますが、個人的ではあっても、
 常人を超えた、奥深さを持った人生観が構築され、
 それが能力の世界で活かされているように思えます。





 5/1(火)
 
 連休に入ってから、公園ではジョギングをしている父と子が、目に付くようになりました。
 普段、あまりお目にかかれないので、いい光景だなと思います。
 仲の良い親子の姿を見るのは、好きです^^

 僕は、青龍家晩年の傑作と言われた(自分で言っている)末っ子で
 姉とは5つ違い、兄二人とは一回り以上も離れています。
 そのため、男兄弟と遊んだり、父と遊んだりという記憶がありません。
 たぶん、家族計画には入っていなかったのだと思います。
 当時はあまりやることがなかったのでしょう中年夫婦のできちゃった、出産?!

 父との想い出では、小学生のころ、後楽園の馬券売り場で手をつないでいた記憶だけです。
 断片的ですが、何シーンか浮かんできます。迷子になって泣いている場面もあります。
 今のように、機械化されていなくて、一人一人、窓口で手売りの時代でした。混んでたのです。
 幼少体験というのは大事なんでしょうね。僕は中学生のころから競馬の予想をしてました(^^)v
 ビー玉、メンコはご幼少のころから、小学生では花札に夢中になり、
 中学では麻雀と競馬(予想だけですが)、それは高校でもっと拍車がかかりました。
 環境は大事です(笑) でもまぁ、好きなように生きられて、悔いはもちろんありません。

 連休中に家で作業をするのは好きです。自分だけ頑張っている気がします(^^)
 先週はほとんど出かけていて、講座作業はまったく進みませんでした(ーー;)
 これまでの遅れを取り戻すために、この一週間は、フル回転しないと・・・
 途切れがちな集中力が問題です。気持と身体は別物で、身体が怠けたがります。
 (-_-)/~~~ピシー!ピシー! もう後がないので、がんばります!

 30・癸巳 癸巳戊庚丙 天報星
 地支が全部陽干で日干が陰干というのは、亥と巳です。亥は2干しかないので、
 地支3干と日干が陰陽となるのは巳しかありません。
 6、18、30、42、54 主観星(石門星、調舒星、司禄星、玉堂星、牽牛星)だけの座下。
 一見地味ながら、個人感情で生活を作ることになるので、言葉が難しいのですが、
 思い通りに生きたいという本能が強く、粘り強い、時にねちっこい、人をつくります。
 主観というのは、本人にとっては無意識です。ここに魅力と問題が凝縮されます。
 自分が思う自分と客観(周囲)が見る自分との間に、誤差が生じます。
 それが可能性、独自性を高めて魅力になるか、独善性として浮いてしまうかが分かれ目です。

 昨日の壬は「汪洋思考」それに対して、癸は「垂直思考」の本性を持ちます。
 壬が自由に発想を広げていったのに対して、癸は既存のラインに従って
 それを深めて行く思考法です。枠をはみ出さず、狭く深く。環境への適応力は抜群です。
 ただ、癸巳に関しては、全部主観の星で稼働するので、自分の考え方を深めることになって
 良くも悪くも自分流という側面は出てきます。個性的な思い込みが人生を作ります。
 勤勉で研究心がある努力家となることは間違いないでしょう。

 星は、牽牛星→玉堂星←剋司禄星 天報星
 庚玉堂星は、変革のための知性です。ここに気が集まるので、玉堂星が大事。
 牽牛星が流れこみ司禄星に激剋される玉堂星は、ほとんど龍高星的です。
 アイデアも豊富で、企画力計画力にすぐれます。天報星が思考に直観力を与えます。
 牽牛星が機能すれば、慎重さも加わるのですが、それを激剋する司禄星が問題です。
 ここに、現実を俯瞰できる視野があれば、すぐれた改革力、企画力がうまれますが、
 司禄星が個人的になるほど、自分勝手な考えで世界を作り替えようとします。

 

 才能という意味では、突出したものを持った人たちですが、
 強引さを持ったクセモノ的な要素も少なからずあって、個性の強さが目立ちます。





   


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