算命日記1月

1/31(木)




今日も休みたかったのですが、
戌亥グループ(1~10番)は、緩むとだめです。
しばらく怠惰であっても平気になります。
やる時とやらない時の落差が大きいのが特徴です。

僕もその傾向が強いので、
あ、塾ブログも、休んだら休み続けて・・・
申し訳ありません。
とにかく、できるだけ、途切れないように、
持続を心掛けると、毎日やることになって、
それはそれで、悲鳴もあがります・・・


●第1章
道可道 非常道 名可名 非常名

道の道とすべきは、常の道に非(あら)ず。
名の名とすべきは、常の名に非(あら)ず。

通常、道と呼ばれているものは本当の道ではない、
という訳になるのですが、
では、本当の道とは何かですよね。

名称というのは、それが名付けられた時点で、
相対(陰陽)の中に存在することになって、それは、
道ではない何かの存在を含むことになります。

例えば、世界が黒一色で成り立っているとすると、
それは、もはや黒ではないですよね。
陰陽足りえないものは存在しないってことです。

バシャールが、ザ・ワンについて、

「ザ・ワンは完全に均質であり、そこには
 他者、ほかのもの、は存在しません」

といっています。
黒一色が黒でないのと同様に、
他のものが存在しない均一は、「道」ではない。
名付けようがないもの、です。

「ザ・ワンは自分が存在しているという
 概念すらありません」

ですよね。
ザ・ワンの時点では、「存在」はないです。
オール・ザット・イズ(すべて在るもの)を表出して
はじめて、ザ・ワン足りえるわけです。
この陰陽論がすべてを解く鍵です。

道も、名付けようがないから道と名付ける
という理屈は成り立ちません。
道が道として名付けられるのは、
他の名付けられたものが必要になります。

ザ・ワンと呼べるのは、オール・ザット・イズが
ザ・ワンの反映として、「すべて在る」からです。

道が無なら、名付けられたものが有です。
原初の陰陽論は、無と有であり、
それは、相対の本質であって、万物生成の原理は、
原初の陰陽論、つまり、ザ・ワンと
オール・ザット・イズの関係なんだと思います。


*氐(てい)運の型
天干全部が地支の一点によって暗合するケース。





千代の富士関とまったく同じ大運の巡りです。
これは、いい比較になると思います。

害刑に関しては、この時期に人気上昇、
郁恵さんとの結婚もありました。
1983年、『夜明けのランナー』 で映画デビュー。
1984年 キリン生AのCMでジャッキー・チェンと共演。
1985年、文学座座員となる。
1987年、榊原郁恵と結婚。

千代の富士さんも害刑は問題なかったので、
2013年からの対冲がどうかです。

この大運に入る前の、2012年、
虚血性心疾患(心筋梗塞)で、
カルーテル手術を受けています。
その後、元気になったということですが、
大運6旬の巳の対冲で、持病の糖尿病が悪化、
人工透析を受けているという報道がありました。
中にはかなり重篤という情報もありましたが、
事務所はこれを否定しています。

2019年は大運と同じ「亥」が巡って、天剋地冲です。
今年が要注目となります。
氐運の型、対冲の影響がありそうですね。
こうなると、もう少しデータが欲しくなります。
探してみます。





1/30(水)




少しずつですが、朝焼け時間が早くなっています。
これはきのうの写真。
今日は仕事に追われて、じゃなかった、
仕事みたいな趣味に熱中して、
体操時間を過ぎてしまい、お休みしました。
最近晴天続きで、雨休みなしでしたから、
こんな日もあっていいでしょう(^^)


さて、バシャールもちょっと飽きてきたというか
わからない部分もあるので、
そもそも、老子とバシャールの共通点、
ということで始めたバシャールだったので、
ある程度の、糸口がつかめたところで
本家の老子を見て行こうと思います。

なんか、シリーズにしないと、毎日は無理。
日記といっても、僕の一日は、変わり映えしない、
体操とパソコンしかないので・・・

算命学は老子の教えを原典にしている、
と言われますが、実際、
老子と算命学の共通点は簡単には見つかりません。
算命学がいつのまにか、
老子離れをしているのかもしれません。

高尾先生の陰陽論や、二階建て12支論や、宇宙論など、
算命学の思想に関する部分は、影に隠れていますよね。
確かに難解で、何度読んでも理解できないのですが、
宇宙的スケールで算命学をとらえないと、
ただの占技占術で終わってしまいます。

天中殺だって、もっと、時間と空間の理論を
明確にしないと、天中殺が悪さを運んでくるような
誤解も与えてしまいます。

僕は、たまたまなのですが、
卒論が「老子」だったのです。
算命学との縁も、老子がきっかけでした。

20年くらい前に、初めて占ってもらったのが算命学で
あまりによく当たっているので興味を感じて、
先生とお会いして、資料を見せてもらった時に、
「老子」の名前を見つけて、俄然やる気が出たのです。

そんなわけで、もう一度
老子を読み直してみたいと思います。
お付き合いください。


*氐(てい)運の型
天干全部が地支の一点によって暗合するケース。



元横綱千代の富士関がこれでしたね。ビックリ。
日支巳の三子が。天干とすべて干合します。


大運を見ると、30代が害刑。今が対冲の大運です。

害刑の1984年、もう、この時期には、
「ウルフ千代の富士」として
最強の横綱と言われていました。

ところが、1984年には、限界説も流れる不調でした。
3月場所は右股関節捻挫で中日から途中休場。
同年5月場所は11勝4敗に終わり、
同年7月場所は左肩の脱臼で全休。
同年9月場所は入幕2場所目の小錦の突き押しにあっけなく敗れ、
横綱としての責任を問われる一幕もありました。

ただ、翌年からの立ち直りは素晴らしく、全勝優勝し、
1986年5月場所から1987年1月場所までは5連覇を達成。
1988年5月場所から11月場所で53連勝を記録。
独壇場の強さを見せつけています。
30代は黄金時代といわれていました。

ただ、巳の害らしい出来事もありました。
1989年2月に誕生したばかりの三女・愛さんが
乳幼児突然死症候群でなくなりました。
もう相撲が取れないんじゃないか
というくらい落ち込みましたが、翌年には優勝しています。
1991年に引退していますが、引退は必然ですから、
相撲においては、総崩れはありませんでした。

30代はトータルでは、黄金期を作ったと言ってもいいでしょう。
氐運の型といわれるほどの、大きな崩れはなく、
外れともいいきれませんが、外れに近い。

次は、対冲の2014年からの10年。
2015年にすい臓がんがみつかり、手術するも、
2016年に61歳で亡くなりました。



2015年は天中殺年。
①天中殺現象は、天中殺が終わってから出る。
②巳の退気、進気の流れに沿って、運が動く。
③巳が散法に合うと、すべてがおかしくなる。

日支対冲は退気のピークですから
これは三つとも当たったことになります。
こうなると、もう少し、検証してみたくなりますね。





1/29(火)




あの満月がいつの間にか半分の月。
この木が好きですね。



いい木。
朝の蒼に映えます。
自然が一番の芸術家ですね。

半月を見ると、満月になる半月か
三日月になる半月か、なんてことを考え、
進気退気という占いに結びつきます。
勉強熱心(^^)/



満月から降りている半月なので、
これは退気の半月。

算命学の退気進気は有効なので、
これをカレンダーに入れてみました。



いったい、完成まで何カ月かかるのか(T_T)
位相法がまだ白紙の状態です。
ほぼ万年カレンダー、
いいものができそうなのですが
時間がなくて、まったく進みません。


*氐(てい)運の型
天干全部が地支の一点によって暗合するケース。



巳の中の三干が天干とそれぞれ暗合しています。
条件はあっているので、氐運の型

瀬戸口さんは、『おかあさんといっしょ』の8代目体操のお兄さん。


4旬にキーの「巳」が対冲で、ここで大崩れするところですが、
実際は、ここでは何事もなく、
巳が支合刑の7旬、天中殺の2018年3月に
瀬戸口さんは、亡くなっています(64歳没)。
死因は公表されていません。

①天中殺現象は、天中殺が終わってから出る。
②巳の退気、進気の流れに沿って、運が動く。
③巳が散法に合うと、すべてがおかしくなる。

これは、①②③、全部が外れたことになります。
天中殺中に亡くなり、位相法は合法(支合刑)。
逆順大運で、4旬に対冲して、
申は進気の支合です。
もう少し、例題を探してみます。





1/28(月)




近所のお稲荷さん。
通り一つ隔てたところに、都電が走っています。
これもまた、下町情緒。

今年はまだ、初詣に行ってなかったので、
お参りしました。



どこでもそうですが、お供え物があったり、
綺麗に掃除されています。
ご近所の方が、やってくださるのでしょう。



お狐様が、かわいい(^^)
「この一年、無事に過せますように」
 (-人-)オネガイシマス


バシャールの世界でも、病気はあったようで
ただ、ネガティブには考えたりはしません。

「病気になったのには、何か、理由があるはずだ、
 というところを見て行くことから始めたのです」

「ネガティブなところから発生してしまった病気でも、
 そこから、何も学べないはずはない、
 という考えに立って。」

これは、そう思いますね。
病気は、最終勧告に近く、
何かを示唆していると思います。
病気で人生が変わることはよくあることです。

病気になる前にも、常に、
示唆や警告はあるのでしょう。
ただ、僕たちが気がつかないだけ、
のように思います。


余り知られていない算命学の占技シリーズ

*氐(てい)運の型
天干全部が地支の一点によって暗合するケース。


意識してみないと、見逃してしまいます。
それと、確率的にはかなり低いです。
全部陰干、全部陽干の干支では起こりません。
干が陰で地支が陽、あるいは、その逆。

辰巳戌の3支に可能性がありますが、
わかりやすいのは、例題にもある巳でしょう。

この占技は、運の波がすべて、巳によって起こる
と定義されています。特徴は、
①天中殺現象は、天中殺が終わってから出る。
②巳の退気、進気の流れに沿って、運が動く。
③巳が散法に合うと、すべてがおかしくなる。
④暗合する支の場所の人物に運命が集約される。



運勢では、午~亥までの散法に特に注意。
対冲の影響を大きく受ける。
巳が年支にあれば、母が運の鍵を握り、
日支に巳があれば、配偶者がキーになります。

例題探しが大変そうですが、
探してみます。





1/27(日)




うっすらと明け始めたツインタワー。
池にピントがあったせいか、
町屋の公園とは思えない風景ですね。

バシャールへの質問で、こういうのがありました。
「バシャールの世界では、
 病気はすでに克服されたと聞きましたが、
 どのように克服されていったのでしょうか?」

「まず、自分に正直でいること」
とバシャールは答えています。

これには注釈がついていて、
(自分の内側の波動と日常の自分が
 ズレないように合致させておく。
 たとえば、自分がワクワクすることを止めずに
 日常で表現している状態、など)

これは、算命学とも合致するところです。
宿命と自分を一致させること。
占い相談では、その問題がどこから生まれたのかを
宿命と現状のギャップから考えるのが始めです。

例えば、大半会や三合会局所有者が、
既存性の強い組織で働いていたり、
平凡な主婦になっていたり、
それは、宿命と現状のずれを意味します。

バシャールの世界では、自分の波動が上がると、
「その病気が発生しうる周波数」を超えてしまうので、
病気にならない、という原理のようです。

占いで病気を治すことはできませんが、
宿命をもっともポジティブに活用する
ということができれば、
バシャールのいう、波動をあげることができる、
そう思います。


*房(ぼう)運の型

『両親の星(干)が地支にあって、
 暗合して変化した五行が天干に透出する』



都はるみさん。
wikiによると、
『「はるみ節」と呼ばれる独特の力強い歌唱法を持ち、
 昭和後期を代表する国民的演歌歌手として
 数多くのヒット曲を世に送った。
 芸能好きの母親が、はるみが5歳の時から
 日本舞踊とバレエを習わせ、6歳の時から母親自ら
 浪曲と民謡を教え始める。』

別のプロフィールでは、
母親は若い頃に浪曲師を目指していて歌も踊りも上手だった』
とありました。「はるみ節」も母の直伝のようです。

房運の型にはいるといえる人生ですが、
ケイさんと同じように、母と二人三脚であって、
占技にあるように、親を蔑視するような子ではないです。

この二人は、数ある中から、適合している人を探したので、
必ずしも、当たる占技とは言えません。

こうした占技では、当たりはずれよりも、なぜ、
地支で干合する両親の化け干(ばけかん)が透干すると、
親の夢を叶えるような人生になるのか、
という理由が大事です。

化け干で思い起こすのは、大運の守護霊気。
大運と干合、暗合する宿命干の、化け干を
先祖の正干に見立てて、どの先祖が守護霊気となるか
判別するものですが、窮地に立った時の守り神。

干合変化して生まれる干には、
霊的作用があることがある、という話です。
両親の未達の思いが、干合化け干に込められて、
透干(天干)することによって、自分(日干)に入る。
天干には、天命のような役割や能力が組み込まれていて、
そこに両親の思いの入った化け干が・・・
ということなのでしょうか。

房運の型は、可能性としては、
有効な気もしますが、
当たり外れはなんともいえませんね。
こういう占技があるという程度の参考にしてください。





1/26(土)




曇り空のほうが、雲が面白い形になるので、
写真家としては(^^)/ いい絵がとれます^^

だんだん、写真を撮る素人の気持がわかってきました。
これって、一種の自己顕示ですね。
未熟な間は、対象に自分を投影するのでしょう。

友人に、プロの写真家が2人いるのですが、
この人たちの撮る写真には、自我が見えません。
対象の側で撮っているように思います。
風景の心が分かる人かな。



公園にこんな立看板がお目見え。
何で、今、爆破テロ? ちょっとびっくりしますね。
こんな情報でもあるんでしょうかね。
あ、オリンピックが近いからかぁ・・・



公園の入り口に並ぶマンションの一つ。
こんな感じのマンションに、
死ぬまでに一度住みたかったです(T_T)
今となっては、夢にもならないのですが、

でも、いつか、と思っていることがいいのです。
人生で必要なのは、実現よりも希望の方です。


*房(ぼう)運の型

『両親の星(干)が地支にあって、
 暗合して変化した五行が天干に透出する』



両親暗合というのを検索するのは難しかったので
とりあえず、3つ干合する丑寅で検索、
日干を辛、丁、己、甲、壬、庚に限定。
こうすると、母の正干と干合がヒットします。

検索で当てはまる人はいたのですが、
親の状態が不明で、結局二人だけ。

歌手のクリスタル・ケイさん。
戊が母の正干で、癸が父。
ここに出る父はちょっと弱いですね。
子供とかぶるので、子供ができるころには
父と離れているでしょう。

あ、そういう話ではなく、
母(戊)と父(癸)が暗合して、丙丁に。
丙が天干にあるので、親は伸びずに子が伸びるパターン。
親の挫折した夢を子供が実現します。

wikiによると、
「外国人の両親を持つ。父親(幼少時に離婚)は
アフリカ系アメリカ人のベーシスト、
母親は在日韓国人3世のシンガーで
グレートプロダクションの社長をつとめる。」

ケイさんも、歌手で成功しているので、
母の夢を叶えたことになります。
母親は女手一つでケイさんを、育てたようです。

この型には、「親が挫折する運命にある」ことと、
「この運型に入る子供というのは育てにくいのです。
 親を常に批判的な目で見るから、親の夢を実現する子に
 なれるのです。あんな馬鹿な親にはなるまいと、
 思うのです」

これは外れでしょうね。

wikiで見る限りは、母子家庭で苦労しながら
二人三脚でやってきたようです。
母親はケイさんを産んでからも、歌は歌っていたので、
必ずしも挫折ということではなかったようですが、
結果としては、房運の型に近いとみていいでしょう。





1/25(金)


昨日の朝焼け


このごろ、風が冷たい朝が多いのですが、
まだ過ごしやすい冬です。
だんだん色が薄くなってきた気がします。
ラジオ体操場の風景でもないですね^^



まだ、満月を味わえます。
夜の月みたいだけど、朝の月です。
好きな枯れ木に焦点を合わせて、カシャ!

僕はあまり自然や風景に関心がありません。
でも、カメラを持っていくと、
これまで気にもしなかった風景が、
自分の世界の中に入ってきます。
現実は自分が作っているという気がします。

全客観という宿命のせいでしょうか、
カメラという「人工」の媒介が
必要なのかもしれません。


余り知られていない算命学の占技シリーズ

*房(ぼう)運の型

『両親の星(干)が地支にあって、
 暗合して変化した五行が天干に透出する』

これを房運の型といいます。



大事なのは地支の中で干合(暗合)していることで、
母干は正干(玉堂星)でなくても偏干でもいいです。

そして、干合変化した五行の陰陽どちらかが
月干か年干に透干していることが条件です。

これは、その人の適職や、才能を探す時に
親をみれば運命がわかるというものです。

例えば、親が、女優になろうと思っていたが、挫折。
結婚して、平凡な主婦になったとします。
そして、生まれてきた子が、房運の型を持っていると、
この子が、親に代わって、女優になる夢を実現します。

逆に言うと、この運型を持った子が産まれた場合、
「親は挫折する運命にある」ということです。

このように、書かれているのですが、
どうもこういう決め打ちは嫌な感じがします。
公式通りにいかないことだってあるだろうと思うのです。

検証が必要なのですが、
これは、例題を探すのは大変です。
こうした宿命はあるのですが、
親がどんな夢を持っていたかは、
わからないことのほうが多いので・・・





1/24(木)




だんだん、ブレないで撮れるようになりました。
しかも、二台がすれ違うところ!
まぁ、だから何? っていわれちゃいそうですが・・・



てっぺんではないですが、
カラスが止まっているところ(^^)
朝の薄暗さを背景にして、カラスは、
どこか不気味な雰囲気を漂わせています。


生家環境によって、人生が変わるという話、
バシャールは、それも選んで生まれてきている、
と述べています。

「それは、自分が探求するテーマに
 一番合う両親を選ぶ、ということです」

親を選んで生まれてくるというのは聞く話ですが、
「自分が探求するテーマにあった」
というのはいいですね。
宿命がみんな違うのは、テーマが違うから、
そう考えると納得できます。

人生、「幸福になること」が目的なら、
こんなにたくさんの人も宿命もいらないでしょう。
宿命はもっとシンプルに作られているほうが
幸福になるためにはいいはずです。

でも、個々みんな違う役割を持っていて、
それに見合った、両親や環境を選んでくる。
しかも、その選び方は必ずしも、
ふさわしいものとは限らず
苦労を選んでいるってこともあるのでしょう。

「テーマによって、どうしてもこの親でないと、
 という場合もありますし、別のテーマでは、
 どの両親でも、どのタイミングでも、かまわない。
 産まれさえすれば、自分のテーマは
 探求できます、という場合もあります」

なるほど、これは宿命でも言えることですね。


*亢(こう)運の型
「強運の両親を持ち、更にその運を超える」
それが干合の大運で破られるという話。
コシノさんは当てはまりませんでした。
もう一人、勅使河原さん。



コシノさんと同じように、5旬は40代。
1970年~1979年です。

1972年、監督作品、映画『サマー・ソルジャー』を公開。
「その後、映画を離れて、福井県宮崎村の草月陶房で
 越前焼の作陶に打ち込んだ。」とあります。

その後の記述がないのですが、この時点では、
父親も健在、跡継ぎの妹さんも健在で、
親の後を継いだわけではありません。
まだ、亢運の型には入っていません。

1979年、草月流の創始者である父が亡くなります。
1980年、二代目家元を継いだ妹さんが相次いで死去。
1980年、三代目家元として、継承する。

干合を過ぎた後に、継承して、独自の発展を遂げたので、
この型には、入っていると思います。

もし、映画監督としての成功に、親の力があったとすると、
亢運の型になる可能性もあって、その場合、
干合大運で、あっさり映画から離れているので、
干合によって、変化した、という言い方はできそうです。

リストの他の人も調べてみたのですが、
親の後を継承している人がいなくて、
データとしては二例だけで、信ぴょう性は薄いです。

亢運の型に関しては、プラス面の可能性は高いとして、
波乱の部分は、データが少ないために、保留として、
それほど明確なものではないと、しておきます。




1/23(水)




公園の周回路は舗装されているのですが、
そのわきに、土の部分があります。
ここを歩くのが好きです。

昔は、路地など、土の道が多かったですよね。
雨が降ると水たまりができ、乾けば砂ぼこりが・・・
今思うと、それもなつかしい。

水たまりや砂ぼこりを歩きにくいと感じて、
舗装路があたりまえになって行きます。
人間の都合で自然を変えて行くのですが、
その善悪は論じられないとしても、
今度は、その都合が人間を作って行くことにもなります。

歩きにくくても、土の道がいいという少数派は、
多数決で作られる舗装路社会とはなじめないことになります。

生まれた時から舗装路社会がふつうの人たちは、
土の道との比較もできずに、それになじみます。
少数派は過去の遺物となり、消えて行くのでしょう。

こうして人は変わって行く。
それは自分史の中でも起こりうることで、
与えられた環境の中で作られていく自分と、
同じ宿命を持った自分が、違う環境であったなら
気が付かなかったいくつかの事に気が付いて、
例えば、「土の道が好き!」という具合に、
まったく違った自分になる可能性があるわけです。

生家環境に居つくか、出るかは選択が可能です。
この会社で働くか、他所の会社に移るか、
この人と一緒にいるか、別れるか、
すべて選択が可能です。
もっと拡大すると、この自分でいるか違う自分になるか、
これも選択は可能です。

問題は、一つを選択することは一つを捨てることであり、
土の道をコンクリートで固めてしまうと、
それはまったく違った道になってしまうことで、
選択は常に失うことの不安と背中合わせです。

時系列の中で生きている人間としては、
選択は、わかっている今と、みえない未来と、
その二者択一に置き換わります。
不満はたくさんあっても、わかっている今の居心地と
見えない未来の不安とでは、不安が負ける事が多い。

でも、今も未来を保証するものではないし、
その不安は選択後の不安と同じだと思えれば、
もう少し前向きな選択が可能になる気もします。

環境を選択することは難しくても、
自分を選択することは可能でしょう。
まずは、我が身を省みることからですよね!
|柱|ヽ(´・_`・。)反省…


*亢(こう)運の型
「強運の両親を持ち、更にその運を超える」
それが干合の大運で破られるという話です。

「干合は干合で破られる」は算命学では定説です。
大運の方が効果が大きいとされています。
干合で成り立っている夫婦が、
運勢干合で別れたり波乱になる例はあります。

この亢運の型の場合は、運勢干と宿命干合が干合すると
二倍の大きさで得たものを失うことになると
はっきりと書かれています。



亢運の型を持って、成功したコシノさん。
大運5旬は、40代。1980年~1989年です。
wikiに年表が出ていたので、抜き書きします。
1982年、パリ・プレタポルテコレクションに参加。
1984年、中国・上海で日本人として初めてコレクションを発表。
1987年、コシノヒロコの呼びかけにより
大阪府、大阪市、経済団体が開催委員会を結成し、
第1回目となる大阪コレクションを開催。
1987年、韓国・ソウルでコレクションを発表。
1988年、昭和学院秀英高等学校の制服をデザイン。

抜けている年に何かあったとしても、
親子二代分の波乱や損失があったようには見えません。
それどころか、行政府とともに、大阪コレクションを開催したり、
海外でも、コレクション(新作発表の催し)を行っています。
断定はできませんが、干合大運での波乱は、
なかったと判断できると思います。





1/22(火)


最近、またまた物忘れがひどくなって、
ゴミ出しは水曜と土曜なのですが、土曜は出すのを忘れ
今日(火曜)は水曜だと思って、3袋を抱えながらゴミ出し。
また、家に戻って、体操に向かったのですが、
カメラを忘れて、取りに戻って・・・(ーー;)

昨日は、喫茶店で会計をしようと
レジの前を通り過ぎて店の奥まで行って、
中央に戻されて支払いして、帰ろうと、
また、店の奥まで行って、友人に呼ばれて、
出口はレジの向かい側中央にありました(T_T)

よくあることと言ってしまえばそれまでなのですが、
二つ三つと重なると、さすがに落ち込みます。



公園までの道に、学校があります。
まだ、6時ちょっとすぎなのに、明かりがついて、
入学試験の準備をしているようでした。

ああ、もう試験シーズンなんですね。
多くの人が経験してきた道でしょうが、
なんだか、これで人生が決まってしまいそうで、
追い込まれたような気持になりましたね。

でも、振り返れば、どんな学校にも良さはあって、
希望校に入ったからといって、幸福なわけでもない。
人生いたるところに青山ありです。
人間万事塞翁が馬
七転び八起き!





わざわざカメラを取りに戻ったのですが、
きのうの怪しげな満月ではなく、
ごく普通の満月が輝いていました。
それでも、朝に見る満月は一味違います(^^)


*亢(こう)運の型
使えそうな占技ですが、続きがあります。

この型をまとめると、
「強運の両親を持ち、更にその運を超える」
となります。

続きがあって、
「この運勢が落ちる場合、どこでしょう?」



「大運天中殺があろうとなかろうと、
 干合を破るものは干合、つまり、42歳~51歳、
 この十年間、この約束事が消えるわけです」

どんな人でも、大運5旬は月干干合します。
だから、亢運の型の人は、5旬目が波乱だといいます。
「干合の大運が回ってくると、この型が崩れて、
 一気に下がります。つまり、二代分下がります。
 財でいえば、自分の作った財だけでなく、
 親の作った財力まで落ちるので、大きくなるわけです」

上昇も下降も二人分という理屈になっています。
さっそく、例にした二人の5旬がどうなったか、
検証してみます。





1/21(月)


今日は、最悪の害日。
朝、ぎりぎりまで作業をしていて、
体操に遅れそうになって、あわてて出発。
お出かけカメラを忘れたけど、
まぁ、いいだろうと思って、公園を一周。
途中、おばちゃんたちが大声で、見て見て!と。
見れば、真ん丸の月がビルの向こうに沈むところ。
この世のものではないような神秘的なお月様。
美的センスのない僕ですが、
ほんと、きれいだなって思いました。
こんな時のために、カメラを持って出ているのに(T_T)

これが始まりで、銀座での友人面談も
すれ違いがあって、携帯メールが届かなくて、
30分以上右往左往。
その他いろいろ、害を感じる一日でした。

昨日の朝焼け


と思ったら、雲がそこだけどんより塗られていて
うっすらと明るんでいました。
どこか高原に来たような雰囲気です。



体操場のすぐわきにあるまっすぐな木。
好きな形の木です。このてっぺんにカラスが!
あわててカメラを構えたのですが、逃げられました。
不吉さを漂わせて、いい絵だったのですが、残念。


*亢(こう)運の型
天干に両親の干が並び、干合していて、
干合して化けた干が日干と同じ五行になるもの。



もうひとり、勅使河原宏さん。
いけばな草月流の創始者勅使河原蒼風の長男です。

在学中からピカソや岡本太郎などの前衛芸術に心酔したり、
共産党に傾倒し、過激な学生運動にも参加していました。
子丑生月中殺ですから、すんなり跡継ぎはないです。

卒業後、友人に頼まれて、美術映画『北斎』を監督、
それから映画界に進出。木下恵介監督に師事しました。

家元の長男が、華道から離れたところを生きていたためか、
跡取りは、妹さんに決まっていました。
それでも、1972年(45歳)から、映画を離れて、
草月陶房で越前焼の作陶に打ち込んでいたと
wikiにはありました。

ここからが、亢運の型の始まりです。
1979年に父親が亡くなり、
翌1980年には2代目家元を継いだ妹さんも死去、
結局、勅使河原さんが草月流3代目家元を継承しました。

亢運の型を持っているからなのでしょうか、
中殺があったとしても、跡継ぎの運命にあがなえず、
三代目となって、そこからは独自の展開を見せます。

ソウル、ミラノ、ニューヨークといった世界各地で、
竹を使った個展を開催。その規模の大きさに加え、
自由で独創的な表現方法が注目されました。
「1990年代からは複数人で行う生け花「連花」を提唱。
 この新しい表現方法は、従来の華道の枠を超えた芸術として
 見る人を驚かせた。」という記述もあります。

その他にも舞台や、陶芸、書、設計など、
多彩な方面で、オリジナリティ溢れる才能を発揮しました。

中殺があるので、発展の仕方は異なりましたが、
親から受け継いだもので、名を成し、
新たな発展を示したわけで、亢運の型に該当します。

これは、天干の両親の影響は、
型とは無関係に大きくなる道理なので、
親の影響下で人生が作られることは間違いなく、
それが飛躍的に発展する可能性があるようなので
パターン占技として、役立つように思います。





1/20(日)


昨日の朝焼け


なんか、写真にするとイマイチですね。
だんだん、夜明けが早くなってくるので、
そのうち、朝焼けもなくなるでしょう。
しばらく、がまんしてください(^^)/



他人の人生と関わるのは、
このくらいの距離感がいいですね。


結局のところ、人間は、
オーバー・ソウルが体験したがっていることを
代わりにこの世で体験するってことですよね。

代わりにという言い方よりは、形になった分身でしょうか。
自分の人生と思うと、ややこしくなるので、
本家あっての分家で、自分が本家ではないってこと、
そう思えると、この世への執着は薄くなり、
本家には存在しない、ネガティブな感情も消えて行く、
そんな気もしています。

これが面白いところですよね。
オールにはない、ネガティブ感情を、
人間が持つことができる。
なぜ? 自由意志があるから?
自由意志は、オーバー・ソウルにないものを
生じることが出来る。

すべては神から生まれたのだとすれば、
サタンもまた、神から生まれたもの?
という疑問と似ています。
人間や精霊は神から生まれながら、
不完全であるがゆえに
サタンが生まれ、人間にも悪の概念が生じた。
それでも、すべての起源が神であるなら、
悪の概念もまた、神の中にあるべきで、
と考えるのはどこかおかしいのですかね。

それなら、悪の概念は幻想、
という考え方の方が、よほどしっくりきます。

ネガティブ感情はオーバーにはなく、
人間特有のものなのですよね・・・
この世が幻想ということで、それは成り立つのでしょう。

物質世界は幻想であるがゆえに、
ネガティブ感情が生まれる、
だって、そんなの本家にはないのですから、
本来は生まれようがないんですよね。

唐突に、ニーチェの「永劫回帰」という言葉が浮かびます。
バシャールとニーチェの関連を浮かべる人がいるかなと
検索してみたら、一件、ヒットしました。
ニーチェもバシャールも、
たぶん、同じことを言っているような気がします。


*亢(こう)運の型
天干に両親の干が並び、干合していて、
干合して化けた干が日干と同じ五行になるもの。



リストの中で名前を知っていて、子供時代のデータがある人、
という条件でピックアップ。

定義では、「親が頑張って作ってきた
経済力、社会的地位などがどんどんあがり、
それを自分が受け継ぎ、更に飛躍発展させる」

コシノヒロコ
コシノさんはファッションデザイナー。
妹のコシノジュンコさんも有名です。
三女もデザイナーで、「コシノ三姉妹」と呼ばれます。

お母さんは同じくファッションデザイナーの小篠綾子さん。
wikiによると、
「3歳の頃より祖父の影響で歌舞伎、文楽、お茶屋の文化に親しむ。
 幼少の頃から様々な事に興味をもち、中でも絵を描く事を好み、
 将来の夢として絵描きを志す」

若い時は、縫製が好きではなく、美大を希望していました。
でも、母がそれを反対。そこで思い直します。
「進路に迷っていたが中原淳一のデザインの絵を見て、
 縫製嫌いだったコシノは縫わずとも画家という形で
 ファッションに携わることができると気づき、
 ファッションの世界に進む事を決意。」

1960年代には、銀座のみゆき族という流行を生み出した人です。


コシノヒロコさんは、アーティストとしても活動。
2012年には「ヒロココシノ銀座店」とあわせて、
アート作品展示館の「KHギャラリー」をオープン。
翌2013年には、芦屋市の旧自邸をギャラリーとして改装し、
「KHギャラリー芦屋」として予約制で一般公開している。

母に反対されて、後を継ぐような形になって、
そこから、自分らしい展開で上昇、名を成している。
妹たちも、後に続いて成功していることを思うと、
亢運の型の占技通りと言える。





1/19(土)


今日の朝焼け


もう少し、池に移っている感じが綺麗だったのですが・・・
カメラのせいですねぇ^^



体操を終えて、公園を出る時間です。
家を6時頃出るので、45分くらい、
毎日、運動していることになります(^^)

以前疑問に思った、過去の記憶について、
答えらしきことが書かれていました。
なぜ、僕たちは過去世を覚えていないのか?

「"私の過去世" というのは、間違った言い方です。
 過去に生きていた人は、
 その人自身の性格や人格があるので、
 その人の(別人としての)過去世なのです」

「各時代に生きている各個人は、
 オーバーソウルの延長線上に”個別の魂”として
 存在していて、独自の個性を持ち、
 それらの個々の人生が、同時に並行して、
 進んでいるからです」

「私にはこういう人生と、こういう人生と、
 こういう人生がありました、という言い方は
 オーバーソウルにしかできないということです」

消えない意識の永遠性は、「僕」にあるのではなく
オーバーソウルにあるってことですね。
過去世の僕は、別バージョンの僕であって、
そこを貫いているのは「僕」ではなくて、
オーバーソウルなのですよね。

そして、過去というのは過ぎ去った遠い昔ではなく、
今この瞬間にも、並列的にあるもので、
それぞれ、独立して、オーバーの中に存在している。

過去→現在→未来という時間的幻影から
いかに抜け出せるかってことのようです。
答えが目の前にちらついているのに、
捕まえられないもどかしさがずっと続いています。


*亢(こう)運の型
天干に両親の干が並び、干合していて、
干合して化けた干が日干と同じ五行になるもの。

この条件を9000人データベースでどう検証するのか、
ほとんどの人が興味ないでしょが^^
簡単に説明してみます。

①エクセルシートの一番左上の「1」をクリックします。
すると、横一列がグレーに反転します。
次に②の「並べ替えとフィルター」をクリック。
③のフィルターをクリック。
これで、フィルター用のプルダウンボタンがつきます。
大きい赤丸は、ネットのサンプルです。


まず、中央くらいにある「干合」の
「▼月年」をクリック。
「(すべて選択)」をクリック。
次いで、干合にチェックを入れます。
これでデータの「月年干合」が検索されます。



次に番号を選択します。
干合変化した両親の干が日干と同じになるのは、
日干「乙」←壬+丁=甲乙 日干「壬」←辛+丙=癸壬
この二つしかありません。
例題のように、日干壬で辛丙の干合を探します。

日番号をクリックして、「(すべて選択)」をクリック。
空白になった番号で、日干壬(下一桁9)をチェックします。

次に月番号をクリックして、
丙か辛(下一桁3か8)をすべて選択します。
日干壬、月干辛(月干丙はなし)年干丙が抽出されます。



9000人データで、18人の名前があがりました。
この中で、親縁が強そうで、
データが詳しくありそうな二人を選んでみました。
コシノヒロコさんと勅使河原宏さん。続きは明日。





1/18(金)


体操の行き帰りの道路で思うことですが、
街の景観の中で、電信柱と電線が、
先進国日本のイメージとはそぐわなくて、
昭和が所在なさげに宙に浮いているようです。



こうした光景は街のいたるところで見かけます。
昔、電信柱は「木」だったんですよね。



これはこれで、ひとつの風情だったのですが、
コンクリ―トの柱では、情緒もありません。

ケーブルの地中化というのはずいぶん前から聞いています。
でも、なかなか実現しませんね。

外国の写真やドラマを見ると、先進国では
こうした見苦しい? 景観をあまりみかけません。



我が家の前の電柱です。
7本近いラインが通っています。
近未来の街からは、きっと消えていると思うのですが、
バシャール流に、未来の記憶を再生してみたいです。


余り知られていない算命学の占技シリーズ

*亢(こう)運の型
これは、単体の宿命でみます。
①天干に両親の干が並び、干合している。
②干合して化けた干が日干と同じ五行になるもの。
これが条件です。



両親の星が透干すると、親を超えるのが難しいのですが、
これは、例外で、跡取りにこの亢運の型が生まれると、
親が築いた身代が、子供の代で、更に上昇することになります。

「初代が財を成し、二代目が地位をなし、というように
 上がって行くのです」

「亢運の型は強運の両親を持ち、更にその運を
 超える運を持つ宿命と解釈します」



図にすると、こんな感じで上昇します。
これも検証が必要ですが、
条件にあった人を見つけるのは大変そうです。





1/17(木)


今日の朝焼け


あんまり代わり映えしないですね。
でも、手前の枯れた木にライトが当たって、
いい感じだったのですが・・・カメラが悪い(笑)



体操を終えて帰るころには、もう、明るくなっています。
先日、何気にとったらこんなにボケていた。
カメラが悪い^^



今日はちょっと工夫して、カメラを動かしながら撮った。
少し良くなりましたね。いつか、綺麗にとれるかな(^^)


ハイアーには無数の意識があって、
フィジカルはその中の一つを選択している。
ただ、ハイアーもまた自分なんですよね。

「大切なのは、無数の意識は自分の外ではなく、
 自分のなかにあるということです。」
「つまり、いろいろなバージョンのあなたは、
 すべてあなたの中にあるのです。」

宿命に置き換えると、陰占にはすべての可能性があって、
日干がその気を燃焼して現実が生まれる。
宿命の場合、すべてといっても、すべてではなくて、
与えられた気の数と配置内のすべてです。

何をどう燃焼させるのかによって、人生は変わる。
そして、燃焼させているのは自分なわけで、
人生に登場する嫌な人もいい人も、
みんな自分が創り出していると思えると、
人生はがらりと様相を変えてくると思うのです。


*角(かく)運の型
きのう、ふと浮かんだ発想。
縁が役に立たないのではなく、僕と兄が悪い!

実際は、陰占よりも、陽占でのつながりの方が
絆を作っているということかもしれません。
陽占とは日干が作る現実の姿です。

夫婦間の縁も、そう考えると、陰占の効力は薄いのかも。
陰占よりも陽占が大事、というわけではありません。

陰占を現実に活かすことの難しさです。
陰占の姿を陽占がそのまま具現していれば、
占いはもっと高い的中率になるのだと思います。

そう考えると、強い縁で結ばれていて、なおかつ、
仲の良い夫婦がいたら、その夫婦は、
宿命に忠実に生きていると言えるのかもしれません。

逆に、強い縁で結ばれていながら、
別れる夫婦の場合、どちらか、あるいは両方が、
宿命から、外れた生き方をしている・・・
そうですね、そう考えると、縁を物差しにして
生き方を正すことができるかもしれません!

言われてみれば、僕も長兄も、
かなり自分勝手な生き方をしていたと思います。
陰占を勝手な陽占に変換して、勝手な人生を作ってきた。

結果、長兄はみじめな晩年を送り、
僕は、ギャンブルで身を滅ぼし、という人生でした。
これが現実が正しいという意味なのでしょう。
占いが間違っているわけではなかったってことです。

強縁の兄弟と親密でなかったという事実が、
誤った生き方を正すチャンスだったのですね!
こういう使い方ができれば、
占いの可能性は、もっともっと広がるはずです(^^)/





1/16(水)


おばちゃんが「ねぇ見て、朝焼けが綺麗!」
おじちゃんが「あ、ほんとだね」と答えます。



体操仲間なのでしょう、公園散歩の一コマ。
ピークはもう少し濃い色合いで、
おお!と声を出したくなる美しさです。
でも、数分で色褪せて行きます。
その瞬間を共有するご高齢のお仲間。



という言葉が思い浮かびました。
確かに、のどかで美しい朝でした♪


バシャールによれば、過去だけでなく、
未来もまた、今の一部ということになります。

「実際に未来の記憶を持つことは、
 過去の記憶を持つのと同様に可能です。
 なぜならば、すべては今に存在するからです」

「例えば、デジャヴュは、未来の記憶を体験する
 一つの方法です」

「すべては今に存在する」というバシャールの理論は
算命学の四方向が同時に存在している図と同じでは?



同一平面上にすべては存在していて、人は未来を行動して
それは過去として蓄積されます。消えることはない。
人は未来を思って今を作り、それが精神の過去になります。
すべてはこの平面上に存在して、
人は、未来を選択していることになります。

ただ、これは未来を今に存在させることにはなりますが
未来を記憶することにはなりません。
でも、霊能者と呼ばれる人は、未来の記憶を体験できます。
ただ、未来の記憶は一つではないので、
こうなっているという強い可能性、ということでしょう。

「それは、一つの未来であって、絶対的な未来ではありません」
とバシャールも言います。

我々凡人の未来は目の前の今でしかありません。
宿命図の、東の現実未来です。
それを体験することで、今を作り、
次の日には西の過去になります。

この場所と時間の経過を理解することが、
位相法や気の働きを知るためには必須の事です。
そこには、僕らには及ばない、
宇宙的真理があるのだと思います。


*角(かく)運の型
もう少し、縁の話を追ってみます。

相性診断でも、縁の有無は重要なファクターです。
それは、離れがたい絆を生むため、と説明されています。

「但し兄弟は、あまり共通干支を持ちすぎないことです。
 兄弟が全くそっくりの共通干支を持っていたとします。
 すると、生涯離れられなくなるのです」

極端な例としては、双子ですよね。
特に、一卵性の双子は、ある時期まで、
密度の濃い関係になっていることがあります。
でも、二卵性だとそうでもなかったりします。

長兄 5126・12 月殺
次兄 35・52・15
長女 17・ 8・21  年殺
三男  2・10・26

これは、青龍家四人兄弟の宿命番号です。
こうしてみると、僕(三男)は、長兄と律音番号があり、
乙も共通で、縁が強いですね。
でも、実際はそれほど強いつながりではありません。
むしろ乙つながりしかない次兄や、
無縁の姉のほうがずっと身近な存在でした。
姉は、長兄と納音関係以外は、まったく縁がないですが、
兄弟の中心として、みんなの面倒をよく見てくれました。

「兄弟というのは、他人の始まりみたいなもので、
 兄弟げんかしながら、それで切磋琢磨されながら、
 それぞれの分野で伸びて行くわけです」

「兄弟は他人の始まり」、高尾先生のお言葉だとすると、
先生のご兄弟はと、気になりました。
wikiでは、7人兄弟と書かれています。
だれか算命学を継承しているのかなと探してみると、
先生の兄上のお嬢さんが、算命学鑑定や指導をしていました。
2016年くらいまで、ブログも書かれていたようです。
探せば、もっとあるかもしれませんね。

閑話休題。
縁が強いのに、実際はそれほどでもない。
僕と長兄の関係でもそうですし、
これまでみてきた芸能人夫婦にもたくさんありました。

だからといって、「縁」が大事ではないとは言えません。
もし、「縁」理論が正しいとすれば、僕と長兄が間違っている。
おお、これはいい発想ですね。
このあたりを突き詰めてみましょう。





   



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