本編 「3-天中殺」はA4で11ページ。

                        算命学講座-3

★天中殺とは
森羅万象は気でできていて、世界は、10の干と12の支で作られている。これが古代中国の存在論である。
10の干とは甲乙丙丁戊己庚辛壬癸。12支は子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。
干とは神の世界を源にするなんらかの精神のことで、その精神を「空間」と呼ぶ。物理学的な意味での空間とは意味合いは違う。そして、精神を具現しているのが世界(宇宙)。
12支とは、肉体や現実を形にするための入れ物で、支とは「時間」のこと。世界は空間と時間によって成り立っていると言い換えることができる。

時間と空間の考え方は天中殺を理解する上で非常に重要なものであり、このふたつの定義をしっかりと理解しておかないと、天中殺がどんなもので、どのような現象を引き起こすのかを正しく理解することはできない。
Aという行為を人が行った場合、その行為の是非や善悪を単独で定めることはできない。算命学では「人間の行動は常に時間(時代)と空間(社会または環境)によって価値が決まる」と考えている。


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古代中国人も現代人も人間であることには変わりはないが、飛行機が空を飛び、コンピューターが人間に変わって仕事をする現代を思えば、「舞台」は大きく変貌している。それが空間であり神意であるとするなら、「舞台」も「観客」も固定された概念ではなく、常に変化し、流動しているものであることは明白だ。算命学の教え通り、すべてが社会との調和と共存を願い、その中でバランスよく生きることを心がけていくなら、気の本性である変化はもっと静かに穏やかに長い時間をかけて起こることになっていたと思う。算命学は、まるでそれを望んでいるかのような理論を展開する。
例えば、ヒトラーが作った空間(社会)の天中殺時に、その空間に反した行為をすれば、確かに、命を失ったり、良い結果は得られないだろう。だから、おとなしくしていなさいと算命学は言っている。それでいいのですか、という疑問を投げかけている。

どの国にも戦いの歴史がある。戦いが既存を壊し新しい社会を作ろうとする異質なエネギーの発動とするなら、すべてを無にする天中殺の行動に似ている。前述したように、観客の拍手も背景の応援も求めない行為が、政治を変え、イノベーションを生み、歴史を変化させてきたといっても言い過ぎではないだろう。既存社会と調和していく生き方からは、ベンチャー企業は生まれてこない。実際に、そうした革新の時に天中殺が利用されたことは(多くはそれと知らずに)想像に難くないことだ。

天中殺理論は、すべてに通用するものではなく、その行為が既存社会的なものかどうかを判断の基準にするのがいいように思う。観客の拍手が欲しいなら、天中殺は避けなさいというのは正論として、自分が舞台を作って、新しい観客を呼ぶという意図があるなら、天中殺はそれを応援してくれるのではないか、と考えてみたい。

もうひとつ天中殺現象で特筆すべきことは、空間がないことによって、むき出しの現実が現れることだろう。天中殺の意味は、むしろここにあると思う。
算命学の天中殺論にも「天中殺は虚心をもってわが庭に向かい入れるべし」というのがある。算命学の場合は、老子の説く「無為自然」のような、虚心の精神を作る時とされ、高尾先生も「天中殺の時期こそ自己形成の時であり、この時に培われた精神は、いかなる風雲、波乱の時に至っても屈しないものが宿るということであります」と天中殺論の中で語っている。ただこれは、虚心を作らないと(平常心では)天中殺を乗り越えられないという意味でもあり、我々凡人が会得するには何回もの天中殺の挫折を経験しないとならないだろう。
それは理想論として、「むき出しの現実」を神のベールがはがれた「自分の現実の真の姿」ととらえ、それをこれからの人生の基盤にしていくことのほうが現実的な天中殺の使い方であり、また、自己確立という意味でも有用な方法になると思う。「わが庭に向かい入れる」をこのように解釈したい。
自分の作ってきた現実がどんなものであるのか、時にはひどい目にあって思い知らされる



                             
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